2010年12月31日金曜日

2010年を振り返って

今年の夏後半から、暫くブログが書けませんでした。

書く気力も湧いてきませんでした。

ほんと、書くことを生業としているプロの方々はすごいなーと思いました。

書くことで、自分の気持ちを整理したり、自分を客観的に見る事が出来る訳だけれども、私が書けなくなった理由は、やっぱり私自身に人からよく見られたいという「虚栄心」が埋蔵されていたからでしょう。埋蔵ぐらいだったら別に誰でもあるかなぁと思うのだけど、私の場合は、それが表面化してしまっていた、ということだったと思います。

「人によく見られたい」と思うから、自分の生活が「かっこ悪いな」と思うと、自分のフランスでの生活について何も語ることができなくなってしまいました。

そうなんです。日本では、フランス生活、パリ生活、というとかならずのしをつけたように枕詞のように出てくる言葉が「おしゃれ」という言葉。そういうステレオタイプなイメージが嫌で、このブログを始めたけれど、途中それに自分が負けていました。ブログに書く自分の生活は、「へえ、かっこいい生活しているんだ」と思われたい虚栄心に満ちていたと思います。

12月になってから、パリで日本人の女性とお友達になりました。
きっかけは、「Sur la route d'okinawa 北海道から沖縄まで」というフランスで放映された日本についてのドキュメンタリーを一緒に見て、お互い共感したことです。この作品には、日本についての偏見をやさしく溶かしてくれるエネルギーがありました。

その流れで、彼女がこんな事を言っていたのが印象に残っています。
「自分の中の偏見が一番・敵なんです。」

私にも、今いろんな偏見があります。フランス人に対する偏見、フランス社会に対する偏見、フランス国内の日本人社会に対する偏見etc...

でも、今日2010年大晦日、こうした偏見に閉じこもる自分ではなく、その向こう側にあるものを実際に自分で探検しにいく勇気を持とうと思いました。そして、別に「人からかっこいいって思われなくてもいいじゃん」と開き直りました。

自分の偏見の向こう側に行くこと、また自分を虚飾せず「裸」でいること。そういう行動をとることは、危険が待ち構えているかもしれないし、もしかしたら楽園かもしれない。どっちにしろ、ドキドキアドベンチャー!って感じですね。

 除夜の鐘が無いフランスですが、日本人の私には、除夜の鐘の音を心に鳴り響かせるのは簡単なことです。その鐘の音とともに、2010年に私が培って来た様々な偏見と虚栄を手放します。


2010年11月6日土曜日

言葉の壁を超えるには

言葉の壁を超えるには、要は相手に何かを伝えようとする気持ちなんだ、と思った日。

美容院に行ったら、フランス国内で物議を醸し出した村上隆の『ベルサイユ宮殿作品展』のパンフレットを見せてくれた。そこに村上氏の才能に注目したアーティスト(名前は忘れた)が、初めて彼に出会ったときの逸話が載っていた。

1993年、横浜でそのアーティストの展示会があったとき、村上氏は英語もまともに話せず、ただ自分の作品だけを見せに来た。その作品がよかった ので、そのアーティストはアメリカに帰ってから村上氏に一緒に仕事をしようと英語でファックスを送った。村上氏は、その返事を漫画で描いて返信した。さすがアーティスト。

美容院の後、日本からヨーロッパにジュエリーを買い付けに来た方とお茶をした。 「イタリアで買い付けしたときなんんて、イタリア語まったくわからんから、『ディスカウント、プリーズ!』とひたすら叫んだだけだったよ!」と高笑い。

ああ、私って悲しい左脳人間なのかも。私はフランス語を話すとき、どうしても発音とか文法とか、いろいろと考えてしまうのだ。その奥にある気持ちは「間違えたらどうしよう。はずかしい。通じなかったらどうしよう。」という不安ばかり。

以前PMI(日本の保健所のようなところ)で、英語もダメ、アラビア語オンリーでがんばっているママさんとお会いしたことがあるけど、彼女も右脳派だったと思う。身振り手振りのボディランゲージが得意なママさんで、多分私とはお互いほとんど通じ合っていなかったと思うけど、不思議と彼女からうける 印象に悪い感じはなかった。彼女とコミュニュケーションをとっているフランス人職員も「彼女はフランス語話さないからね〜」と言いながらも、そのアラブママと楽しそうにボディランゲージで交流していた。

フランスで生きていくには、フランス語はもちろん必要不可欠だけど、大切なことを忘れていたなぁと反省した。

2010年7月23日金曜日

沖縄に癒される

たまたまテレビを付けたらarte(教養番組専門チャンネル)で、沖縄を紹介していた。

私と主人は沖縄が大好き。主人と二人で口をぽーっと開けて「あー、沖縄いいなぁー」とため息をつきながら沖縄の淡いブルーの海を見ていた。(その一方で一歳になった息子はうれしそうに沖縄の音楽に合わせて手をヒラヒラ動かしている)

フランスに住みはじめて半年が過ぎた。最近はこの国の不便なところ、嫌なところばかり目についてイライラすることのほうが多い。そのイライラの原因は挙げたらきりがないぐらいだ。情けないのだけど、「ここがフランスではなくて、沖縄だったらなぁ…」と嘆きたい気持ちでいっぱいだった。

番組では、沖縄でテレビタレントとしても活躍するスイス人の男性(どうやら沖縄ではフランス人として通っているらしい人物。でもスイス訛りがない標準フランス語を話す人)が登場した。「沖縄の生活はどうですか?」と聞かれた彼は、「最初は慣れるのに時間がかかるけど、慣れてしまえば問題ないですよ」と笑顔で答えていた。

その何気ない一言にちょっと胸が軽くなった。思えば私はまだフランスに来て一年も経っていない。この国の環境に慣れなくてイライラして当たり前なのだ。フランスだろうが沖縄だろうが、新しい場所に慣れるにはそれなりの時間がかかるわけで、別に今焦る必要なないのだ。

やっぱり私にとって沖縄は重要な癒しの国。沖縄から『パワー』をもらった、と思ったところで画面は市場に並ぶ海ぶどうのアップ。

あぁっ!!!海ぶどうが食べたい!!
あのプチプチした食感を口いっぱいに味わいたいぃぃ〜!!!

2010年7月22日木曜日

おフランスのお下品なお笑い

カド・メラド(Kad Merad)というコメディアンがいる。

昨年フランスで大ヒットした映画『Le petit nicola』で、カド・メラドはニコラ少年のお父さん役を好演し、私はなかなかいい俳優さんだなぁと思っていた。

ところがこの人、「なかなかいい俳優さん」どころか、フランス全土で知名度を誇る大人気のお笑い芸人だったのである。テレビでは常におなじみの顔で、映画にも年間平均5−6本の出演をこなしているそうだ。

お笑いを理解するには言葉の壁がないことは必須。でも言葉や文化の壁を超えた単純なお笑い芸は存在する。



念のため言っておくが、私は深夜のテレビ放送枠を見ていてこのネタを知ったわけではない。言葉もわからず、お笑い番組なのか情報番組なのかもすぐには判断できない私が、たまたまテレビを付けたらこの映像が目に飛び込んで来たときの私の衝撃を理解してほしい。

理解してもらいたいのは、カド・メラドは決してフランスでも知る人ぞ知るのマイナーな芸人さんではなく、全国的に人気なのだ。つい最近も国営放送チャンネル2(France2)の夜のゴールデンタイムで、彼は夏休み特番の家族向けのお笑い番組にメイン司会として登場した。いろんな芸人さんが登場するなか、以前カド・メラドとコンビを組んでいた相方オリビエが登場し、彼に敬意を表してこのネタのロック・ドラマー編を披露していた。どうやらフランス人は家族みんなでこの手のおバカな芸を喜んで観ていると言っていいと思う。すくなくとも、わが家ではそうである。

2010年7月21日水曜日

ロベルト・アラーニャが好きです。

昨夜の国営放送チャンネル2(France2)は、プッチーニのオペラ『トスカ』全幕を南仏オランジュ音楽祭から生中継で放送していた。ローマ時代の古代劇場跡で行われる公演を生放送で見られるなんて、オペラファンにはかなりうれしい番組。最近の私は、子育てからくる疲れと、異文化の環境に岩のようにしがみついて生活しなければならない疲れからか、なんとなくぼーっとしていたので、こういう趣味の世界に浸れる機会は逃したくなかった。早速録画して、今日離乳食を作りながら見ることにした。

音楽祭の生中継なんて、なかなか日本では見ることがないから、どんな雰囲気なんだろうと興味深く見ていたのだけど、幕間にはレポーターが活気湧く舞台裏や楽屋に立ち、出演者に気軽にインタビューをしていて、まさに『お祭り』気分を味あわせてくれる。でもなんと言ってもメインは、フランス生まれで世界的知名度を誇るテノール歌手ロベルト・アラーニャ。どうやらアラーニャは1998年から毎年オランジュ音楽祭に出演しているらしく、過去のアラーニャのハイライトシーンとインタビューで盛りだくさん、オランジュ音楽祭、別名『ロベルト・アラーニャ祭り』と言っても良さそうな感じだ。

フランスに来てから気がついたのだけど、ロベルト・アラーニャはフランスで絶大な人気を誇る。このオペラ生放送も、アラーニャ見たさで楽しみにしている視聴者のおかげで実現しているようなものだろう。その人気の理由は、フランス人がクラシック音楽好きというよりもむしろ、彼自身の生い立ち − 彼の両親がシチリアからの移民で、パリ郊外でも最も『危険』と呼ばれる地域の出身であること − が大きく貢献していると思う。

私は特に昔からのアラーニャのファンだったという訳ではないのだが、フランスに来てからちょっとフランスのテレビに「洗脳」されて彼のファンになってしまった。なぜなら、私もパリ郊外に住む移民だから。(私が住んでいる街はアラーニャが生まれた街よりはずっと安全なところだけど、それでも移民は多い)今年の1月ぐらいにアラーニャのインタビュー番組をテレビで偶然見かけ、そこで彼はフランスで育ったことを『幸運』だと話していた。もちろん、それは移民国家フランスの裏返しであって、この国が抱える移民関係の社会問題は根深い。ただ、未だにフランス語に四苦八苦している私が、なぜか私は彼のフランス語は理解できて、ふんふんとインタビューに引き込まれてしまった。それが、シチリア訛りのせいなのか、それともオペラ歌手としての発声法のせいなのかわからないのだけど、早口でしゃべっていても、なぜか理解できる。多分、ラテン系の人にありがちな、べらべらと長くしゃべっているようでも実はそんなにたいしたことを言っている訳ではないというものあるのかもしれないが、私は彼がにこやかな笑顔で、家族こと、音楽のことについて話す姿に、「移民としてフランスに生きることは決して悪いことではない」という希望の光を感じた。

その希望の光は、インタビューの合間に、アラーニャが2005年の革命記念日に国家『ラ・マルセイエーズ』を歌ったときの映像を見たときさらに強く輝きだした。これを見たら、フランス人でなくても心が高鳴るはず。



アラーニャは、『マルセイエーズ』のように声量を最大限に使った力強い曲を歌うと右に出るものはいないと思う。ほら、ここが俺様の見せ場だ!と言わんばかりの男らしい強さを歌うときのアラーニャは目を見張るものがある。特に、『怒り』の表現が上手で、ハイライトシーンに混ざっていた『椿姫』第二幕でアルフレード(アラーニャ)がヴィオレッタを侮辱するシーンなど、そこまで激しくいじめなくも!と思わずヴィオレッタに同情してしまうほどの迫力だった。

でも、一方で『カルメン』のドン・ホセや『道化師』のパリアッチョなど、女に捨てられた惨めな男の悲哀を表現するのはいまいちサマになっていない。今回の『トスカ』でも、テノールの一番の見せ場3幕目の『星は語りぬ』は、カラヴァドッシの絶望感がちょっと欠けていて味気ない感じがした。一流のテノールとして定番のアリアを情感たっぷり込めて歌えないところが、ミラノスカラ座事件のようなことになってしまったのかもしれない。

Wikipediaで2006年12月のスカラ座の公演中、観客からブーイングを受けたことで舞台を放棄したことを知った私は、あれ?と思ってしまった。これって、フランスを代表するもう一人の移民のヒーロー、元サッカーフランス代表のジダンみたいじゃない!?怒りがカッと頭に昇ってしまうと、それを制御できなくなるところが特に。ジダンが2006年W杯決勝でイタリアの選手に頭突きをして一発退場になったのは同年7月ぐらいのはずだから、もしかしてアラーニャもちょっとジダンのことが頭にあったのかな〜と、勝手な想像をしてしまう私だが、アラーニャのファンになってしまった私はそういうところが人間臭くていいなぁと思ってしまう。

今回の生放送の中でアラーニャがインタビューされているところを見て思わず目がいったところがある。彼の上腕から胸板にかけてのがっちりした筋肉!♥。お得意のアリアを歌っているときの彼の堂々とした姿からは想像できないのだけど、実際の彼の体格は美的に恵まれているとは言いがたい。ドミンゴやホセ・クーラなどと比べたら、ずっと身長も低そうだし、お腹もちょっとポッコリ気味。でも、上半身をしっかり筋トレしているようで、スーツを着るとちゃんと体は逆三角形を保ち、テノールの舞台衣装にありがちな第二ボタンまでボタンを外したシャツ一枚の立ち姿が、特にオペラのテレビ中継などでカメラがアラーニャをバストショットでとらえるとき、一段と映える。

オペラ歌手は自分の体が楽器だから、すばらしい声を出すために腹筋や背筋などいろんな筋肉を常に鍛えていなくてはならないらしいけど、上腕筋があそこまで盛り上がっているオペラ歌手もめずらしいなぁと思う。そもそも腕の筋肉が美しい声を出すのに必要なのかどうかは、素人の私にはわからないけど、舞台人としてかっこよくありたいと努力する俗っぽいところがまた面白くて好きである。

2010年7月14日水曜日

茂木健一郎先生が好きです。

「自分自身から脱藩。今までのやり方を変え、自分を守ってくれた文脈から出ることは不安を覚えることだし、それなりの勇気がいることではある。しかし、自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。自分自身から脱藩してこそ初めて、私たちは潜在能力を遺憾なく発揮して成長することができるのである。」
クオリア日記より 


「遇有性のさわやかな風」という表現がキラリと光っていると思う。ただ遠く日本を離れて現共和国で暮らす私は、「さわやかな風」というより「遇有性の暴風地域」にいるような感じで〜す!きゃはっ!(涙)


そんなことない、この程度の風はさわやかよ、とさらりと言えるレベルに達するには、私にはまだ修行が必要なようです。


でも、素敵な言葉だな。坂本龍馬の銅像を思い浮かべると、穏やかな風に吹かれている感じがするもの。あの風は「遇有性」の風だったのね。

2010年7月4日日曜日

誕生日を迎える息子へ

君がこの世にやって来たとき、太陽は西へと進路をとり、

君のもう一つの祖国で、強い朝日となって大地を照らしていた

君には二つの時計が刻まれている

もしかしたら二つの時計が重く君にのしかかるかもしれない

もしかしたら時計は一つでよかったと思うかもしれない

そんなときは オルゴールの曲にのって 静かに眠っておくれ

星が君を見守っている世界で 休んでおくれ

そして また目を覚ましたら 空を見上げてごらん

二つの時計は いつも一つの太陽と共に

同じ時を刻んでいるから 





2010年6月30日水曜日

わが家の習慣

この国では、人が言うことを安易に信じては暮らしていけません。

つまり人が信じられないのです。

そんなとき、頼りになるのは何か。

ずばり!

自分の直感。これです。

直感を鍛えるために、私も夫も日々、瞑想をしております。

冗談じゃないですよ。

2010年6月24日木曜日

サッカー嫌いじゃなかったっけ?

W杯サッカーが始まる前、わが家では夫からサッカー観戦禁止令が出された。夫は大のサッカー嫌い。フランス代表が勝つと毎回街は大騒ぎになるそうで、それが夫のサッカー嫌いの一因らしい。大多数の人が面白いと思う事は普通に面白いはずと日本式に教育されている私は、もちろん禁止令撤廃を要求した。「別に4年に一回のせっかくのお祭りなんだから、見よう」となだめたのだけど、Nonの一言。でも話し合いの結果、どうやら私が個人的に一人で見ることは禁止しないというところに落ち着いたので、まあいいっかと思っていた。

ところが、ふたを開けてみたら、なんと!夫は「サッカーおもしろくなってきたね〜」とウハウハしているではないか!その原因はフランスの惨憺たる戦いぶりとそれに付随した珍騒動のおかげ。メディアは毎日神妙な面持ちで、「今フランス代表に何が起きているのか」を情報戦とばかりに伝え、夫はそれを「今日はどんな展開になるかなぁ〜♪」ともみ手をしながらうれしそうにスポーツニュースを見るようになり、私にも逐一それを報告してくれる。以下、夫がサッカー解説者等から聞きかじった情報。

●ドメネク監督には個性の強い選手を管理する能力はない。もともと大きなクラブチームを監督した経験が無い人で、2006年W杯準優勝もジダンの実力と人徳のもとにチームが結束したため実現できたもの。

●ドメネク監督は2006年後、全く成績を残していないにも関わらず、なぜフランスのサッカー協会が監督交代を実現できなかったのかは謎。協会内の政治力が関係しているらしい。

●代表チーム内の二大勢力は、どうやらリベリーとグルキュフだったらしい。決して異人種間に起きた軋轢ではない。

●練習のボイコットが決まったとき、若手の選手には泣いて練習したいと懇願した人もいた。でもそれは阻止された。

●新監督ローラン・ブランは、フランスが98年W杯優勝をしたときの代表メンバー。その後国内1部リーグのボルドーのチームを率いて昨季はリーグ優勝を果たすなど、ドメネク監督よりもずっとしっかりした実績もある。性格もドメネクのように傲慢ではなく、理性的な采配ができる人物らしい。

夫は、今年8月に行われる新監督指揮のもとでのフランス代表の初試合がどうなるのか、今から楽しみだそうだ。

2010年6月20日日曜日

罪の重さ

W杯サッカー仏代表のFW選手ニコラ・アネルカが、代表監督レイモン・ドメネクに暴言を吐いたことで、アネルカは最終戦を待たずに代表を外れることになった。

別にアネルカでなくてもフランス国民の大多数がドメネク監督に暴言を投げつけたかったはずだろうから、別にそこまで騒がなくてもいいんじゃないかなぁーと思う私。

一方で、ワールドカップ前に未成年の少女の売春に関わったとされるフランク・リベリーは、そのスキャンダル中にはマスコミで騒がれ、欧州チャンピンオンズリーグでは出場停止となったけれど、その後彼は代表を外れることもなく、某銀行のテレビコマーシャルにも元気な姿で笑顔を振りまいている。

アネルカの暴言よりもリベリーの売春のほうがもっと厳しい社会的制裁を受けるべきなのではと思うのだが、この国ではどうも違うらしい。

サッカーより日本の相撲が大好きな夫に、「琴光喜が野球賭博を認めて、大変な事になってるみたいだよ」と教えてあげた。

夫「なんで?何が悪いの?」
私「…野球でギャンブルしちゃいけないんだよ。法律で禁止されているから」
夫「ふーん…。日本って変だね」

そう言い残して、もうすぐ一歳になる息子を抱き上げた夫は、我が子にこう話しかけた。
「いいかい、何か悪い事がしたくなったら、日本じゃなくてフランスでやるんだよ。そのほうが罪が軽くて済むからね〜(ほっぺにチュ)」

息子よ、どうか悪い誘惑に負けない強い子に育っておくれ。っていうか、絶対悪い事なんてさせません!!ママンが許しません!!!

2010年6月19日土曜日

凱旋門、シャルル・ド・ゴール、カルラ・ブルーニ


昨日、パリの日本大使館に寄ったついでに、凱旋門前を通った。「我々は勝利者だ!」との雄叫びが聞こえてきそうなその建造物から湧き出るパワーを感じながら、同じ兵士として国のために戦ったのに、東京にひっそりとたたずみ、そして常に複雑な議論が絶えない靖国神社のことを思い浮かべた。


***


先日、夫が図書館から谷口ジローの『坊ちゃんの時代』を借りてきた。
J'ai envie d'ecrire un nouveau roman.  Je ne comprend pas de tout ou va le Japon.
(新しい小説を書きたいんだ。日本がどこへ行こうとしているのかまったくわからん。)
という夏目漱石の台詞から始まる。谷口ジローは、フランスではかなりの人気漫画家。彼の作品のほとんどはフランス語訳が出版されている。


***


1940年6月18日は、フランス人にとって忘れてはならない歴史的な日らしい。この日、シャルル・ド・ゴール将軍はロンドンのBBCラジオを通して、「フランス抵抗運動の火は決して消されてはならず、またこれからも消されることはない(La flamme de la resistance francaise ne doit pas s'eteindre et ne s'eteindra pas. ) 」とフランス国民にナチスドイツに対する抵抗運動参加を呼びかけた。この日からパリがナチスから解放されるまで、ド・ゴールはロンドンを本拠地としてフランスの抵抗運動を指揮した


今日はその式典のために、サルコジ大統領はカルラ・ブルーニ夫人を伴ってイギリスを訪問。民放放送のTF1, 国営放送のFrance2は共にその式典をロンドンからのライブ中継で放送した。今年はこの出来事の70周年を迎えるとあって、マスコミも力を入れているようだ。この史実について、私は今回フランスに来て初めて知ったのだが、あの狂気的な第二次大戦中に、日本にはド・ゴール将軍やウィンストン・チャーチル英首相のように国民を強く鼓舞し正しい方向へ導いていく政治家が誰一人としていなかったことが、とても悔しい。江戸から明治という劇的な変化を迎えたとき、日本には優秀な官僚、政治家たちの頭脳が多いに発揮された時代があったのにも関わらず、あの太平洋戦争での日本の舵取りの誤り方はいったいなんだったのだろうと、考えてしまった。


厳かな式典の中で私の目を引いたのは、やっぱりカルラ・ブルーニ。ディオールの灰色仕立ての地味なワンピースを軽やかに着こなし、さすがは元トップモデルの存在感。英キャメロン首相の妻サマンサ夫人もかなりチャーミングな女性で、妊娠中の彼女は白と黒のマタニティフォーマルで式典に参加していたけれど、正直に言ってカルラとツーショットにならなければならないサマンサ夫人に同情した。あぁ、決してトップモデルの横に並ぶべからず。サマンサ夫人が後でカルラとのツーショットの写真を見て、気落ちしないことを祈るばかりだ。


普通、ある国の元首が歩いてくるところを見るとき、「あ、オバマが来た、オバマが来た、あ、その後ろにミシェル夫人も…!」と言うように先にその国のリーダーを確認した後、その夫人がどんな人かを目に焼き付けようとするのだが、サルコジ大統領とカルラ・ブルーニの場合は、「あ、カルラが来た、カルラが来た、あ、その前にサルコジがいた…!」と思ってしまう。そういう人は私だけではないはず。カルラ・ブルーニのオーラは、それぐらいすごい。

2010年6月9日水曜日

共和国の大統領たち

また日本の首相が変わった。別に変わってもどうってことないというのがお決まりだけど、やっぱり海外に住んでいると、日本の首相の顔が変わる度に世界では日本の存在感が薄くなっていく感じがする。こっちに来て約半年が過ぎ、ニュースを見る限り、あらためて世界は中国を中心に回っているというか、振り回されているという実感がする。

それにしても日本人って、やっぱりナイーブというか繊細な民族なのかなと思う。権力にしがみつくことを潔しとしない、ぼこぼこに批判されてまで国のトップにしがみつくよりは、自分で去り際を決めたいという気持ちはわからないでもない。

でも、フランスの政界を顔ぶれを見ていると、ちょっとやそっとじゃ自分から降りる人なんていなさそうだなと思う。

サルコジ大統領がカルラ・ブルーニと電撃再婚したとき、その二人の結婚歴を見て唖然とした私。ちょうどそのころ、夫の祖父母と食事をする機会があったのだが、食卓ではその話でもりあがっていた。私がサルコジ大統領の再婚に驚いていることを知ったおばあちゃん(86歳、第二次大戦中はレジスタンスのメンバーだった)は、「あのね、昔ジスカール・デスタンが大統領だったとき、彼は任期中に飲酒運転で捕まったのよ。しかもその助手席には愛人が乗ってたのよ〜」とあっけらかんと言い放った。おばあちゃんは、それに比べたらサルコジなんてかわいいもんよ、とどこか誇らしげで、私はサルコジごときで目を丸くしていたらこの国ではやっていけないのかなぁと不安になった。

しかもこのジスカールデスタンという元大統領、昨年83歳という年齢で初の恋愛小説を出版した。『La Princess et le President』というタイトルで、イギリス皇太子妃とフランス大統領の恋愛物語。精力たくましいお年寄りの妄想もここまでくると、「よっぽどダイアナ妃にちょっかい出したかったんだね、おじいちゃんならきっとおとせたさ、だってフランス人だもんね〜」と、慰めの言葉をかけてあげたくなる。

ミッテラン元大統領の愛人問題が発覚したときに、記者からの質問に対して大統領は「et alors?(それがどうかした?)」と聞き返した話は有名だけど、この国の政治家たち(もしかしたら国民全体?)は、ちょっと自分が過ちを犯したからといって、すぐ謝罪などしそうになく、ましてや自分から権力の座を明け渡そうなんて気は毛頭ない。面の皮がとっても分厚そうな方たちばかりだ。

菅直人新総理も就任早々に田中眞紀子氏から「クリーンというが洗濯屋じゃない」とのお言葉を食らったようだけど、さすが田中角栄の娘、うまいこと言うな〜感心してしまった。日本の政治家ももうちょっとずる賢くてもいいと思う。でないと日本の存在感はますます薄くなってしまうから。

2010年6月4日金曜日

奇跡のメダイ教会


5月下旬、ちょっと肌寒い日が続いた。冬の間はセントラルヒーティングがよく効いて家の中では半袖一枚で過ごせるのだが、こういう季節外れの寒い日にはセントラルヒーティングは作動しない。背中からゾクゾクっとくる寒気を感じて、ああ、やっぱりあのときの『寒気』と感じ方が違うなと思った。

その『寒気』というか、久々にゾクゾクっとくる『鳥肌』を感じた場所は、パリの『奇跡のメダイ教会』と呼ばれるに小さな教会。こっちに来てから偶然にも二人の別の知り合いから「とってもいいから場所だから是非一度行ってみてね」と言われていた場所だ。

私はクリスチャンではないのだが、正直な話、今回フランスに住み始めてから、キリスト教(特にカトリック系)って苦手かも、と思うようになっていた。前世で何か悪さをして、キリスト教の神父さんとかシスターたちに叱られたのかもしれないと思うほど、教会の前を通る度になぜか「すいません」と『謝罪』モードになってしまう。

でも、なぜかこの教会の話を聞いたとき、いやな気はしなかった。むしろ不思議な興味が沸き、是非行ってみたいと思っていた。ただ、やっぱり「聖母マリア様が降臨されたという奇跡の場所」と言われると、そんな奇跡なんて…と、半信半疑になってしまう。でもとにかく5月の最後の日曜日に偶然一人でパリに行く用事ができたので、そのついでに足を運んでおくことにした。

着いたとき、「あ、はずれだ」と思った。日曜日はミサをやっていて教会は人であふれている。小さな教会の落ち着いた雰囲気を想像していた私としては、ちょっとがっかりだった。とりあえず、すこし様子を見ようと教会の後ろのほうで待っていたら、どうやらもうすぐ終わる様子だったので、待つことにした。待っている間、信者でもない私がこんなところにいて申し訳ないと肩身の狭い思いをしながら、ミサに飽きてしまった女の子を懸命にあやしているアフリカ系のパパの姿を微笑ましく眺めていた。

どうやら終わったようだ。まだ人だかりは消えないけれど、とりあえず祭壇のほうには近づけるぐらいに空間が広がって来た。教会は淡いブルーを基調とした内装。それが教会独特の琥珀色のライトと溶け合って、とてもいい感じがした。祭壇前には祈りを捧げる信者たちがまだたくさんいるけれど、せっかく来たんだからもうちょっとそばでマリア様を見ていこうと思って祭壇に近づいた。

教会を中程まで進んだときだった。
サワサワサワーっと胸の辺りから鳥肌が立ってきた…。
それは頭を通って、空へ抜けていくような感じ…。

別に教会のマリア像や、壁に描かれた天使のモザイクなどの美術品を取り立てて美しいと思っているわけではなかった。でも、私の体は何かに反応して『感動』していた。それは明らかに恐怖からくるものではなく、不思議な暖かさを含んだ感覚…。

10分ぐらいそうした感覚に包まれていたと思う。ぼーっとしながら教会を後にしようとしたとき、何か胸には熱いものが込上げていることに気づく。泣きはしなかったけど、泣きそうだった。

これまで過去に、ある場所に行って今回と同じような鳥肌を感じた事は何度かあるけれど、この教会で感じたほど、強いメッセージを運んでくれた場所はなかった。

泣きそうになった私が感じていたこととは、「あなたも母親よ。」というシンプルなメッセージ。母親になった私は「こんな母親でいいのかな、もっとちゃんとしなきゃいけないんじゃないのかな」と常にどこか不安だった。でもこんなダメな私でも、母は母。別に「良い母」になろうと努力をしてもしなくても、私はすでに母親で、それだけで十分だよ、と誰かがささやいてくれた。

帰り道、最寄りのセーブル・バビロン駅前に、創業100年を迎えたホテル・ルテシアがあることに気がついた。たしか、私の好きな作家が、このホテルについて書いていたなぁと偶然の遭遇にうれしくなる。ホテルの反対側には小さな公園があり、木々の緑が美しかった。パリは、まだまだ奥深いなぁと思った。





2010年5月28日金曜日

自分の言葉に救われる

誰だったか名前は覚えていないのだけど、俳句か短歌を書く詩人が「行き詰まったときに、自分の昔の詩をもう一度読み返して、その自分の言葉に救われることがある」ということをテレビで言っていたのを覚えている。

そういうことが最近私にも起きた。私は自分ではどうにもならない悩みが膨らむと、チャック・スペザーノの『セルフ・セラピー・カード』というのを使ってみるのだけど、そのカードでわかったのが、私はまだ過去を引きずっているということ。それは、東京での会社員時代のことなのだけど、こっちに来てからもふいに思い出しては、苦い敗北感、挫折感に肩を落とすばかりだった。

だから、「思い出さなければいい」「あの出来事があったおかげで、今の生活がある」「あの出来事は、私にとってベストタイミングだった」といった言葉で一通り理解したつもりだったのだけど、それらは一時的に傷にばんそうこうを貼っただけだったようで、最近になってまた傷がうずうずと痛んできた。

『セルフ・セラピー・カード』によると、「過去を手放しなさい」という『手放す』のカードを引いたのだけど、いまいちよくわからない。このカードに限らず、タロットなど全てのカードは絵を見たときの自分の直感を信じることから発見があるものなのだが、直感さえも働かない。

そんなとき、ふと頭によぎった言葉がある。「人生は旅。」
つい最近ロラン・ドイチェの本を読みながら、自分でそんなことを考えていた。普段ブログを書くときは、割と長々と書いてしまう私なのだが、このときばかりはなぜか軽いつぶやき感覚で、「読書は旅、人生も旅だなー」と思っていた。あのとき、フランス語と格闘しながら、なんでこんなに『小舟』という文字に引っかかっているのだろうと思っていたけど、それも今ならなぜか説明がつくような気がする。

そう、私の会社員時代も一つの旅、旅行だったのだ。面接を受けて船に乗って、いろんな乗組員、旅人たち、途中下船する人、途中から乗船してくる人に出会い、追い風に後押しされたり、嵐に押しつぶされそうになったり、自分から途中下船しようと何度か考えたり…。結果は、もう大型船として航海するのではなく小型船に切り替えますと、船長から伝えられて、私は降りることになったわけだが、「この旅行は面白そう、ちょっと乗ってみよう」と思ったのはまぎれもない私自身。その『旅』が終わっただけなのだ。

そう思ったら、なんだか楽しくなってきた。黒い革ジャンを肩にかけ、波止場の一角に片足を立てて風に吹かれながら「人生は、旅だぜ…」と、宝塚の男役風につぶやいている自分を想像してしまった私。うぉー、これだ、かっこいい!!

「人生は旅。」と、かなり自己満足気味に自分の言葉に酔っているうちは、しばらく過去の思い出に振り回されずにすみそう。

2010年5月20日木曜日

坂本龍一の声の世界

ふと、私の息子は、私が話しかける日本語しか普段耳にしていないんだ、と気づく。
日本にいればいろんな人日本語が聞こえてくるけど、ここにいる限り、この子はフランス語のほうがよく耳にする音だ。

私も普段、自分の勉強のためと思ってフランス語のラジオやテレビを聞きながら息子と遊んだりしているけど、たまには息子にも私以外の日本語の音をちゃんと聞かせてあげないとなぁ、と思った。

そこで、日本にいるときよく聞いていたラジオ局J-waveのサイトからポッドキャスティングできるものを探してみた。この子は母親の女性の日本語しか知らないから、やっぱり日本語の男性の声がいいだろうな、と思っていたら坂本龍一の番組があった。

坂本龍一も近年すっかり『白髪の翁』という風貌に近づいてきたけど、声は全然変わらない。中学時代に、坂本龍一の番組を夜10時頃から毎週ラジオで聞いていたことがあったなぁと、遠い昔を懐かしく思い出した。

暫く日本語を聞いていない環境で彼の声を聞くと、『教授』の声にはいっそう深い味わいがある。一言で言うと仏教的。大晦日に鳴り響く除夜の鐘の音というか、蛙飛び込む水の音というか、お経の唱えに癒される霊の気分ってこんな感じなのかなぁーと思うくらい心地いい波動。「えーとー」「あのー」といった相づちと、「いやーこれすごいですねー」という感動を表す言葉を、すべて一定のトーンを保ち続けて話せる人って、そうは存在しない。息子も番組の冒頭に番組スポンサーの名前が英語風に読み上げられたときにはちょっとビックリした反応を見せていたが、『教授』の声が淡々と始まると一人遊びに没頭し始めた。

番組の後半で教授は、津田大介さんというインターネットにお詳しそうな方と、インターネット時代における著作権について対談していた。聞きながら、坂本龍一ってずいぶん日本のインターネット業界に貢献したんだなぁ、と思った。最近のtwitterのこととか、電子書籍についても話していて、今の世の中についてもいい勉強にもなった。息子のために、と思って聞き始めたのだけど、なによりも私自身が日本語にじっくり耳を傾けることに飢えていたようだった。

2010年5月18日火曜日

三つのうれしいプレゼント

先週の土曜日、日本から来たタロー・デ・パリの講師の方々とパリで食事をした。

女性4人と私。わいわいと女性らしい会話が日本語で飛び交う食卓を久しぶりに体験し、私のテンションもあがる。

ちょっとお会いできるだけでもうれしかったのに、おせんべいをお土産にいただき、さらに、彼女たちのポケットやバックから、速攻で日本を懐かしむ私が喜びそうなものをお土産に渡してくれた。

その一つが、飴。『男梅キャンデー』と黒と白で力強くパッケージされている。へぇ、日本で今こんなの売ってるんだなぁと興味を持ちつつ、なんてありがたい!と力強く感謝した。実は私、毎回パリに来るとき、飴を常備している。郊外から電車に乗ってパリ市内の地下鉄に乗り換えると、必ず喉が嫌な感じに襲われる。パリ市内に住むのは憧れるけど、やっぱり子供のことを考えると、こんな空気の悪いところに住めないなぁと思うのだ。梅味の飴なんてこっちでは売ってないから、とってもうれしかった。

もう一つのありがたいおみやげは、まさに『棚からぼたもち』だった。
講師のK先生から、「あ、生理用品いる?」と言われたときの私の驚き!!!
ピン、ピン、ピーンと、ビックリマークが三つ、頭にヒットした。
「夜用で大きいサイズなんだけど」
「ほ、ほしいです!!!」

その昔、北朝鮮のスパイだったキム・ヒャンヒのインタビューを読んだときに、彼女が「日本の生理用品の質に驚いた」と言っていたことを鮮明に記憶している私。フランスで生理になるたび、北朝鮮ではどんなナプキンだったのかなぁと想像しては私の状況はまだまし、と自分を励ましていた。日本の生理用品は、今でも常に進化し続ける超一級品だと思う。

そしてもう一つ、とびきりスピリチャルなプレゼント…。もらったとき、全身に鳥肌がすーっときた。それは、『奇跡のメダイ教会』と呼ばれるパリの小さな教会の絵はがきとブルーの聖母マリア様のペンダントヘッド。実は、前から何か青いペンダントヘッドのネックレスが欲しいなぁと思っていたのだけど、自分ではすっかり忘れていた。そのメダイ教会のペンダントは、まさに私が思い描いていた感じととても似ている…。

さすが、直感で生きているタロー・デ・パリの方々!すべて、私の潜在無意識が欲しがっていたものを直感で与えて頂きました。自分から意識して手に入れようとはしなかったものだけど、それが一度に三つも自分の手に届くなんて、本当に感謝しております!

2010年5月17日月曜日

赤い女たち

昼寝からぐずって起きだした息子をなだめようとテレビを付けたら、ちょうどアート専門チャンネルのarteでマルタ・アルゲリッチの演奏が始まるところだった。曲はベートーベンのピアノ協奏曲第2番。初めて聞く曲だったけど、五月の風ようのな、からりとさわやかな演奏だった。

この曲は息子の波長にも合っていたようで、最初すこしぐずっていたものの、だんだん落ち着いてきた。赤ちゃんが泣きやませる音楽にクラシックがいいとか、モーツアルトがいいとか、と言うけど、単に音楽が持つ波長と赤ちゃんがもつ波長が一致すると、赤ちゃんは泣き止むんじゃないかなぁと思う。息子がまだ生後一ヶ月頃、泣き止まないので赤ちゃんのためのモーツアルトというCDを聞かせてみたけど、まったく効果なかった。今ではあのモーツアルトを聞くと子供がかえって泣き出すような気がして、私はあんまりモーツアルトを聞かなくなった。

演奏は去年の夏スイスのヴェルビエ音楽祭(Verbier Festival)のときの録画放送だったが、アルゲリッチがすっかり白髪になっていて、それにちょっと驚いた。でも長くのばした白髪とは対照的に、彼女は口に真っ赤なルージュを引いていて、それがとってもかっこよかった。

聞きながら、私はやっぱりベートーベンが好きなんだなぁと思う。彼の音楽を聞いていると、自然に体が軽くなるというか、第4チャクラ(胸)あたりがふわっと開いていく感じがする。こういう演奏にはめったにお目にかかれるものではないから、今日はラッキーな日なんだろう。

後半は若手の中国人ピアニスト、ユジャ・ワン(王羽佳 Yuja Wang)の演奏。彼女はノースリーブの真っ赤なドレスで登場。『のだめカンタービレ』に登場する、お買い物好きな天才ピアニストのモデルは彼女かもな、と思った。超絶技巧を紡ぎだすその秘訣は、彼女の上腕筋かな!?肩から手首までにかけての彼女の腕の筋肉は、ちょっとしたプロゴルフ選手ぐらいありそう。小麦色の肌が真っ赤なドレスとうまくマッチして、またなんともセクシー。

フランスは今カンヌ映画祭期間中だから、よくテレビやニュースでレッドカーペットを歩く艶やかな女優さんたちを目にする。でも、今日のピアニスト二人はどんな女優さんたちよりも個性的で刺激的だった。やっぱり女は『赤』で勝負しなきゃね。ちょっと子育て中の私には縁遠い色だけど。

2010年5月16日日曜日

読書は旅

ロラン・ドイチェの『Metronome』をがんばって読んでいます。

embarcation, esquif, barque, pirogue... と2パラグラフ内に立て続けに意味のわからない単語が出てきて、一つ一つ辞書で引いたら、全部『小舟』という意味だった。なんだか損したのか得したのか…。

そういえば、パリ市の紋章は『船』だったなぁ。

377ページある本だから、一日一ページずつ読めば、一年後には読み終わります…。

果てしない旅に出た感じ…。

2010年5月12日水曜日

この国の個人主義

先週に引き続き、France 3で『ジョルジュとファンシェット』(George et Fanchette)の後半を見る。

ジョルジュ・サンドは、ショパンとの別れを惜しむ事なく、あっさりと次の恋人に鞍替え。しかも相手は自分の息子の仕事の同僚で、ほとんど息子と同年代の若い男性。で、息子モーリスは母親への嫉妬から、母の恋人である同僚を仕事から外してしまう。

さあ、母親ジョルジュはどうするか!?息子か、恋人か?この二者選択…!
と、ちょっと複雑な葛藤に悩まされるジョルジュを想像したのだけど、彼女はあっさり、きっぱりと恋人を選びましたとさ。あらあら。息子を一人田舎のお屋敷に残して、彼女の馬車は軽快に走り去る…。

やっぱり私は日本人だから、「あんた、それでも母親なの?」という感じがぬぐいきれずに見ていたけど、ドラマはそんな私の感情なんて抜きに淡々とジョルジュが新しい生活を楽しんでいるところを見せる。

なーんか、『のれんに腕押し』って感じをくらった私だったけど、主人は結構楽しそうに見ている。

ふと、気がついたのだけど、実は主人の人間関係も、このドラマにある人間関係と似ているところがあるのだ。さすがに、主人のお母さんに若い恋人がいる、という訳ではないのだけど、要はこのドラマの人間関係って『血縁<他人との愛情』。ジョルジュは自分の実の娘と息子とは馬が合わなくなってしまうのだけど、なぜか自分の娘と同い年ぐらいの召使いファンシェットとは気が合う。ドラマの後半では、ファンシェットのことを自分の娘とまで紹介する仲になっていた。

一方うちの主人も、親兄弟よりも『信頼できる』友人、親戚としかつきあわない。「親子の関係がうまく行ってない家庭、フランスには多いよ」と主人は言うのだけど、そりゃ、日本にだって多いよ。でも、日本の場合だと、いくら仲が悪くても、やっぱり血のつながった親や兄弟だから、なんとかうまくやって行こうと努力しようとする姿勢を見せるけど、このドラマでは、「だめなら、仕方ないじゃん」って感じ。血がつながっていても、関係を修繕しようとある程度やってみて、それでもだめなら無理にいっしょにいることはない、という姿勢のようだ。

今10ヶ月になる息子を育てている私としては、複雑な気分が残る。主人ももちろん、「この子とは、そういう関係になりたくないけど」とは言っているけど、この国の個人主義って、私にはまだちょっと未知で怖い。

2010年5月8日土曜日

この国に来た意味

あるときネットの掲示板で日本人の海外在住者が海外生活をうまくのりきるこつを書いている人がいた。「たまたまその国に行くことになり、ちょっとだけいるつもりが案外居心地がいいのでそのままずっと住むことになった、という場合の人のほうがうまくいく。」ということで、妙に納得した。

私は昔から外国に憧れがあって、20代の頃にイギリスに留学した。でもそこでは、ドーバー海峡の向こう側の国にさらに憧れが強まった。イギリスはもう留学生活だけで十分だったので日本に帰国したけど、フランスへの憧れはまだつのるばかり。とうとうその夢が30代の後半で実現して、こっちに来る前は有頂天だった。

でも、やっぱり『憧れ』や『夢』は必ず『現実』で目覚めるもの。フランスに来たら、なぜか日本の生活が懐かしくなり、恋しくなり、日本ってやっぱりいい国だよなぁって思い始める。しかも、あんなに嫌だったイギリスも、田園風景がきれいだったなぁと、恋しくなったりする。(日本はいい国だ、とは夫と気軽に話せるけど、イギリスがいいとはあんまり発言しないようにしている)

フランスに来たことは別に後悔していないのだけど、日本の生活の便利さや、英語が通じるお気楽さを知ってしまっていると、ふと、とてつもない不安に教われるときがある。

でも、待てよ。
私って、要は子供のときからずーっと『隣の芝生』をよく見てしまう性格なんだなぁ、と気づく。

私がこの国に来た意味はもしかしたら、このあなたの性格にちゃんと気がついてね、っていう天からのメッセージなのかも。あなたはいつもどこに行っても、人のことばかり気にしてたでしょ、って。『隣の芝生』なんて気にしないで、今の自分の立っている場所をおもいっきり、精一杯楽しむことを学んでねって。

どんな『夢』や『憧れ』も、一度現実に目覚めてから、また新たに始まるような気がする。

2010年5月5日水曜日

イケメン俳優とメトロでお散歩

あるときテレビを付けたら、いろんな本を紹介する番組をやっていた。
ふと夫がその出演者の話を聞いていて、「多分この人、ジャン・ギャバンとか、ジェラール・デパルデューとか将来のフランス映画を代表する俳優になると思う」とぽつりと言った。

それが、ロラン・ドイチェ(Lorant Deutsch)。ジョニー・デップみたいに黒ふち眼鏡が似合う好青年。俳優さんだけど、今はほとんど舞台が中心のお仕事らしい。夫は彼の演技を見たことは一度もないのだが、「彼の言っていることは賢い」らしい。

ロラン・ドイチェは大学で哲学や歴史を学び、かなりの『歴史オタク』。そんな彼が最近本を出版して、これがフランスでベストセラー入りした。『メトロノーム』というタイトルで、地下鉄メトロ駅の歴史をまとめたもので、地下鉄の各駅からパリの歴史を紐解くという、ちょっと好奇心が踊る内容。

フランス語まだあんまりよくわからないしなぁ〜と思っていたのだけど、駅の売店でちらりと中を見たら、なんとか私にも辞書があれば十分読めそうな文体。しかも、駅ごとにまとめられた各エピソードが短い。夫も読みたがっていたので、早速購入した。

イントロダクションを読んで、ちょっと胸が高まる。

以下抄訳。
15歳のとき、初めてパリでの生活が始まった。(中略)全くのよそ者であり、知り合いもほとんどいないこの町で、僕の初めての友達となったのは、通りの名前だった。

私も初めてヨーロッパの都市を旅行したとき、道や通りの名前に助けられたことがある。寒い冬に旅行をしたときなど、もしかして迷ったのかもしれないと不安になりながらも、ふとその道の名前が「アポリネール通り」や「ボルテール通り」だったりすると、あ、この辺りにあの詩人や哲学者も住んでいたのかな、と想像する。そう思えるだけで、知らない土地でさまよい歩くことに、ささやかな安堵を感じたものだった。

自分の小さな喜びと同じことを感じる人がいるなんて!恋が芽生えますな〜。
ロラン・ドイチェとメトロに乗ってパリをお散歩するのを妄想しながら、辞書を片手にがんばるぞ。

2010年5月3日月曜日

ショパンって、ダメ男?

言葉がまだよくわからないので、テレビを見るときにはなるべく映像で楽しめるものを選ぶ私。

最近、「お、これ録画してちゃんと見よう!」と思った番組は作家ジョルジュ・サンドの半生を描いたドラマ。「ジョルジュとファンシェット(George et Fanchette)」というタイトルで、ショパンと暮らすジョルジュ・サンドが、ファンシェットという若い女性を召使いに雇うところからストーリーが始まる。

フランスの田園風景が広がるお屋敷でロケ撮影していて、かなり優雅な感じ。木いちご狩り、美しい花々、乗馬、豪華なディナー、色とりどりの衣装、おいしそうなコーヒーとブリオシュの朝食など、女の子ならだれでも憧れる世界が映像化されていて、かなり目の保養になる。もちろんBGMはショパンのピアノ曲だしね!

言葉がわからないと、画面のいろんな細部につい目がいってしまい、それがまた面白い。
庭仕事をするジョルジュがふと振り返って画面に背を向けると、彼女のエプロンを止める紐が縦結びだったり、召使いの人たちが調理する食材が雌鳥だったり、うさぎだったり。

でも、かなりがっかりしたのは、ショパンの人物設定。かなり実際の肖像画に描かれているショパンと似ている感じの風貌に仕上がっていて、いかにも病人らしかった。でも、ピアノを弾く指はちょっと小太り気味。以前パリにある博物館でショパンの手の石膏を見た事があったけど、とっても長い指をした繊細な手だったのにな。さらに致命的にショックだったのは、まるで「僕は音楽以外の才能はまるでないんです」、と言わんばかりのショパンのダメ男っぷり。ドラマの後半で、ジョルジュがショパンを追い出すシーンがあったけど、もしドラマに描かれているようなことを実際にやる男性がいたら、ジョルジュ・サンドでなくても嵐のように怒り狂うでしょう。

サンドとショパンの関係について、いろいろとロマンチックな夢を描いていた私としては、「あちゃー、見なきゃ良かった」というのが感想。

来週第二部も放映されるようなので、とりあえず楽しみにしています。

2010年5月2日日曜日

カマンベールは愛の食べ物 (追記)

そういえば、夫が日本にいたとき、「カマンベールを冒涜している!フランスの特産物をバカにするな!」と激怒していたCMがある。

それは、とある宅配ピザのコマーシャル。少女たちが、元気に踊り、歌う。

♪カマンカマン カマンカカマン カマンベール!

フランスの国旗を身にまとったカマンベール娘がかわいいなぁって、私は思うのだけど。

2010年5月1日土曜日

カマンベールは愛の食べ物

テレビを見ていて気がついたのだけど、この国では「食欲」と「性欲」の間にあまり大差はないらしい。

この国で「チーズ」のコマーシャルを見る度に、不思議な違和感に襲われる。

その例をあげると…。

CMその1。
浜辺で美しい女性が寝そべっている。そこにカマンベールチーズをもった色男風の男が近づいてきて、
「いっしょに一口、どう?」みたいなジェスチャー。二人はうぅ〜ん、とおいしそうにカマンベールを食べる。

CMその2。
若い女性が一人でソファーに座ってカマンベールをおいしそうに食べている。そこにボーイフレンドが帰宅。
「あ、見つかっちゃった」という表情をしている女性に、男性がニヤニヤしながら近づいてきて、
「一人で楽しむなんてずるい」とでも言いたそうな顔をする。
そして二人でいちゃいちゃしながらカマンベールをほおばる。

CMその3。
若い女性が細い布で目隠しされている。すると男性が「ほれほれ、ここだよ」みたいな感じで、女性の口にカマンベールを入れようとする。
女性は「いやーん、何かしら〜」といったラブラブな雰囲気。

どうしてこういうコマーシャルになってしまうのかよくわからないのだけど、この国のフロマージュを食すると「うぅ〜ん、おいしい〜」と思ってしまうのはわかる。フランスのチーズの味(とくにカマンベール系)は、日々微妙に変わり、まるで生きている食べ物。コーヒーを味わうように「コク」みたいなのがあって、日本のチーズでは感じられない質がある。でも、このチーズの「コク」っていうのはいわゆる「脂肪」ってことらしい。

主人と日本に住んでいるとき、主人はどんなに安くても日本産のカマンベールに手をださなかった。
「チーズを食べた気がしない」と頑として口をつけなかった。

「まあね、たとえ本場の味とはいかなくても、カマンベールをちゃんと自分たちの手で作って、世の中に売りに出してる、この日本人の努力はすごいよね〜?」と夫をなだめていた私だけど、日本が酪農をアメリカ人からじゃなくて、フランス人から学んでいればよかったかもなぁ〜なんて想像してしまう。

そうしたら、今頃日本もカマンベールやバターが超おいしい国になっていかも。

2010年4月30日金曜日

やっと、まともな髪型になりました。

昨日、子守りを夫に頼み、私は一人パリへお出かけ。

目的は、日本人女性が経営するヘアサロン。その前の晩からワクワクして眠れなかった。

11区Charonneにあるsae.coというヘアサロン。
美容師兼経営者のさえこさんと話していたら、なんと同郷!
異国で同じ県出身の人に会えると喜びもひとしおだった。

日本の女性雑誌も出してくれて、日本語で髪型の相談ができて、あぁ、この幸福感、安心感!

一番うれしかったのは、さえこさんの接客。
私としては、久しぶりにおもいっきり日本語が話せる機会だから、たくさんおしゃべりしたいというのもあったけど、日本語の雑誌も読みたい。
さえこさんは私が雑誌を読み始めると、きちんと距離を保って私に雑誌を読ませてくれた。
東京でも、こういうことができる美容師さんにはなかなかお目にかかれなかったなぁ。
初めての客だと、ついいろいろしゃべってしまう人が多かったもんね。

カットとカラーをお願いして、出来上がりをみたら、まぁ!
黒木瞳みたいだわ!!
と大胆に自己満足。

やっと美容室から出るときに、「私は髪を切ったのよ、見て見て〜」というオーラを出す気分になれた。

フランスに来てから、毎回美容室に行くのが苦行であった。
初めてパリ郊外の地元の美容室に行ったときは、つたない私のフランス語でもなんとか意思疎通ができて、その美容師さんはいわゆる『髪を軽くする』という日本だったら普通の技術も駆使してカットしてくれた。
途中何度か「このシャンプーすごくいいのよ〜」、とか宣伝が上手なおばちゃんだったけど、仕上がりもまあまあ。
昔イギリスで美容院に行ったときに比べたら、ずっとマシかなぁーなんて思っていた。

二回目、同じ地元の美容室に行ったのだけど、前回の担当者はいなかった。
前回と同じように注文したのだけど、しあがりはなぜか「マッシュルームカット失敗しました」という感じに…。
『髪を軽くする』こともしてくれなかった…。
美容室を出るとき、穴があったら入りたかった…。

まあ、この二度目のチャレンジの後だから、私って黒木瞳みたい!と一週間ぐらい思っていても、神様は許してくれるでしょう。

2010年4月28日水曜日

やっとOFII(移民局)での手続きが完了。

去年の11月にフランスに着いてから、長かったこの道のり。
やっと、やっと、OFIIでの手続きが終了。
Formation Civique(フランスの歴史、地理、行政についての講習)が終わったときは「あばよ!」って感じだった。

とにかくこの国の「行政機関」には極力関わりたくない。日本で市役所や県庁にちょっと行くのとは訳が違う。とにかく「待ち時間」を最大に考慮すること。
うちの主人(仏人)は、何か役所関係の用事ができると、一ヶ月ぐらい前からそわそわし、それが終わるまでずっとイライラしている。

だから参加が義務となっているFormation Civiqueが終わったときは、夫と二人でガッツポーズをした。

朝の9時から夕方5時まで、みっちり「フランス共和国」についての講義をフランス語で聞かされる。

教室に入ったとたん、いかにも高校で歴史を教えていますというような小太りの男性が、少し命令口調で「英語の通訳はあそこに座るから、その近くに座りなさい」と言う。私、多少フランス語わかるんですけどと思ったけど、あまり自信がないので、言われるまま英語の通訳を期待して、指示されたところに座った。

さて、全員そろって時間9時を回っている。もう始まってもいい頃じゃないかな〜と、それぞれ肌の色が違う参加者全員が思っていても、なかなか始まらない。どうやら「通訳待ち」らしい。

15分すぎて、やっと登場した通訳はインド人の女性。
あーぁ、あまりにもステレオタイプな「インド人」の行動を目の当たりにしてがっかり。

それじゃ始めましょう、ということになり、名前と国とフランスの滞在期間を教えてくださいと言われ、簡単にみんなの前で一人一人自己紹介をさせられた。

で、時計の針は9時25分、やっと講義が始まる。そして、英語の通訳が始まると、アメリカ人の男性が小声で(と言ってもアメリカ人の小声は大きい)、

Shoot, this does't work!

と舌打ちする。

わたしも、同感。
通訳さんの英語、はっきり言って私のほうがうまいです。
しかも要点を思いっきり逃して通訳する。多分ボランティアの人なんだろうな。

なので、早々に英語はあきらめてフランス語を聞き取ることに集中した。

午前中はフランスの歴史と地理とシンボルについて。
午後は、フランスの政治、行政、特にLiberte, Egalite, Fraterniteについて。

なんかこの講師が私たち移民を扱う態度が何となく嫌だったけど、講義内容はしっかり組み立てられていて、難しい言葉も簡単なフランス語に置き換えてゆっくりはっきり説明してくれる。「これがフランスという国家だぞ」と言わんばかりの堂々とした発表っぷりにちょっと感心した。

でも、フランス共和国についてなんて、こんなまる一日かけてフランス語で講義されるよりは、全部内容を書いたパンフレットを何カ国語か用意して、ほらこれ読んでね、って言われたほうが絶対効率的だと思うけどね〜。