2010年5月12日水曜日

この国の個人主義

先週に引き続き、France 3で『ジョルジュとファンシェット』(George et Fanchette)の後半を見る。

ジョルジュ・サンドは、ショパンとの別れを惜しむ事なく、あっさりと次の恋人に鞍替え。しかも相手は自分の息子の仕事の同僚で、ほとんど息子と同年代の若い男性。で、息子モーリスは母親への嫉妬から、母の恋人である同僚を仕事から外してしまう。

さあ、母親ジョルジュはどうするか!?息子か、恋人か?この二者選択…!
と、ちょっと複雑な葛藤に悩まされるジョルジュを想像したのだけど、彼女はあっさり、きっぱりと恋人を選びましたとさ。あらあら。息子を一人田舎のお屋敷に残して、彼女の馬車は軽快に走り去る…。

やっぱり私は日本人だから、「あんた、それでも母親なの?」という感じがぬぐいきれずに見ていたけど、ドラマはそんな私の感情なんて抜きに淡々とジョルジュが新しい生活を楽しんでいるところを見せる。

なーんか、『のれんに腕押し』って感じをくらった私だったけど、主人は結構楽しそうに見ている。

ふと、気がついたのだけど、実は主人の人間関係も、このドラマにある人間関係と似ているところがあるのだ。さすがに、主人のお母さんに若い恋人がいる、という訳ではないのだけど、要はこのドラマの人間関係って『血縁<他人との愛情』。ジョルジュは自分の実の娘と息子とは馬が合わなくなってしまうのだけど、なぜか自分の娘と同い年ぐらいの召使いファンシェットとは気が合う。ドラマの後半では、ファンシェットのことを自分の娘とまで紹介する仲になっていた。

一方うちの主人も、親兄弟よりも『信頼できる』友人、親戚としかつきあわない。「親子の関係がうまく行ってない家庭、フランスには多いよ」と主人は言うのだけど、そりゃ、日本にだって多いよ。でも、日本の場合だと、いくら仲が悪くても、やっぱり血のつながった親や兄弟だから、なんとかうまくやって行こうと努力しようとする姿勢を見せるけど、このドラマでは、「だめなら、仕方ないじゃん」って感じ。血がつながっていても、関係を修繕しようとある程度やってみて、それでもだめなら無理にいっしょにいることはない、という姿勢のようだ。

今10ヶ月になる息子を育てている私としては、複雑な気分が残る。主人ももちろん、「この子とは、そういう関係になりたくないけど」とは言っているけど、この国の個人主義って、私にはまだちょっと未知で怖い。

2 件のコメント:

  1. ブログ開設おめでとう!近況がわかってうれしいわ。わたしのほうは、最近めっきり更新しておらず。たまに携帯から短いのをアップしているだけですが、細く長く続けていきたいです。うちのブログからリンクとかはろうかな♪ 写真もみたよ。かわいいね。またメールします。な

    返信削除
  2. fiddler koalasさん、コメントありがとう!リンクよかったら、はってくださーい。

    返信削除