2011年12月25日日曜日

パリ・オペラ座界隈

この2年間のフランス生活で一番お世話になった地区と言ったら、日本食レストランがひしめくパリ・オペラ座界隈だ。この周辺は在仏日本人の胃袋みたいなところ。でもうれしいことに行列を作っているのは日本人だけじゃなく、現地のパリッ子も半分以上を占める。うちは夫が日本食好きということもあって、ついパリまで出てくるとどうしても日本食レストランに足が向いてしまう。初めてここで日本食を食べたときは、「高い料金を払って、このお米の味は何?」と少々お米の質がっかりしたけれど、そのうちパリで食べられるお米の味に慣れてきた。海外で現地の味を再現するのに一番苦労するのは、水と原材料の質が物を言う主食の味なのかもしれない。夫も有名フランス料理店やパン屋が軒を連ねる東京でさえ、フランスの現地並みにおいしいパンやクロワッサンを見つけるのには苦労していたから。

<レストラン編>
善 (Zen) 
8, rue de l'Echelle 75000 Paris
子供連れに最適の日本食レストラン。店内が広いので、ベビーカーで入ってもスペースに余裕がある。おそらく、ここの店員さんは全員日本人のようで、日本式の無駄口を叩かずきびきびと事務的な接客が気持ちいい。子供連れだと分ると、言わなくても子供用の小さいフォークを出してくれたりと、気が利く店員さんもいる。日曜日にも開店していて、12時開店と同時に入れば、予約しなくても必ず席は確保できる。餃子がおいしい。

遊 (You)
11 Rue Sainte-Anne, 75001 Paris
少々お高い。でも美味しい。特に焼き魚系の定食が美味しいと思う。おにぎりがメニューにあって、息子にはおにぎりを注文できる。小柄な中年日本人男性のテキパキした接客も好き。

Aki 
11 Rue Sainte-Anne, 75001 Paris
値段的にお手頃感がある。やきそば、お好み焼きなど、ソースが決め手となるメニューが置いてある。息子にはいつもかやくご飯を注文していた。やきそばは日本人女性にはちょっとボリュームがある感じ。ここの難点はZenのように場所を広くとっていないこと。ここは客を詰め込むというか、客同士の間にあまりゆったりしたスペースがない。子供連れだと、早く食べて帰ろうという気になるレストラン。

Chez Miki
5 Rue Louvois, 75002 Paris
高いけど、おいしい。日本食の繊細な味が表現できているお店だと思う。でも量が少ない。フランス人の夫にはもっと物足りない感は強かったようだ。

<お弁当屋>
ACE GOURMET BENTO
18 Rue Thérèse, 75001 Paris
韓国系のお弁当屋さん。テイクアウトもできるし、その場で食べることもできる。
最初「お持ち帰りですか?それともここで食べますか? Vous emportez, ou mangez ici?  」という基本的なフランス語が韓国なまりでよく分らなくて、3回ぐらい聞き返してしまった。でも、ここの店員のお姉さんはこんな私でも愛嬌よく接してくれた。私はここに置いてあるジャガイモをスライスしたサラダが大好きで、よくお弁当を買いに行った。あるとき、「あ、また来てくれたんですね〜」なんて顔を覚えてくれて、ちょっとうれしかった。

十字屋
46 Rue Sainte-Anne, 75002 PARIS
日系のお弁当屋さん。別にまずくはないのだけど、一つ不満を言わせてもらえれば、韓国系のACE GOURMETのお弁当箱のほうが大きいのに、十字屋のお弁当のほうが少し割高なのはなぜ?あと、ここも店内で飲食できるけど、どうも落ち着ける雰囲気ではなく私はいつもお持ち帰りにしていた。でもここはお昼の時間帯はいつも大行列。好みの問題なんでしょうね。

Aki Boulangerie
16 Rue Sainte-Anne, 75001 
日系の菓子パン屋さん。食べたことはないけど、抹茶ケーキなども扱っていてカフェっぽい店内でお茶もできる。お弁当もある。ここには私が大好きな焼きそばパンがある!日本のコンビニで売っている焼きそばパンより2倍ぐらい大きくて、うれしい。

<その他>
ボヤージュ・ア・ラ・カルト Voyage a la carte 
‎48 Rue Sainte-Anne, 75002
日系の旅行代理店。パリ、フランス国内のツアー、格安航空券などを主に扱っている。それと、フィギュアスケートEric Bompard杯のチケットも毎年ここで扱っているようだ。私が見に行った2011年には、日本人向けにとっても良い席を大量に確保していて、普通に買うより安く購入できた。(一般販売66ユーロのS席が57ユーロになっていた。)2010年に浅田真央選手がEric Bompardに出場したときには、チケットの売れ行きもスゴかったそうだが、2011年に彼女が来なかったときの売れ行きはいまいちで、「日曜日のエキシビジョンもチケットが余るかもしれないので、半額近い値段で販売しますので、よかったらどうぞ。」と言われた。ちなみに2012年3月にニースで開催される世界選手権のチケットも扱ってますね〜。私は行けないけど…(涙)。

2011年12月10日土曜日

パリ症候群にならないために

『パリ症候群』という言葉はフランスに来てから知った。海外での生活を長く夢を見ていた人が、実際にその国に住んでみて現実を知り、幻滅するという症候群。私は夫からパリ郊外の様子、フランス人の傲慢さ…etcについていろいろと話を聞いていたせいか、深刻な『パリ症候群』になるほどではなかったけれど、それでも実際にパリ郊外で暮らしてみたことで、ショックを受けたことはある。それは、カルチャーショックというただの文化的相違からくる「ショック」ではない。「こんなことが普通に起きている場所に住んでいていいの?」という不安と落胆がまざったショックだ。

それでもパリは今後も世界中の人々を魅了してやまない都市でありつづけるだろう。そしておそらく、今後もパリで暮らしてみたいと思う日本人がやってくると思う。そうした人々に向けて、非力ながら私なりに、パリ症候群にならないために知っておいてほしいことを書こうと思う。

●まず、念頭に置いてほしいのは、日本に入ってくるパリ関連の情報の90パーセントは、パリの輝かしい光の部分だけだと思ってほしい。その光の中で暮らしたいと思うなら、日本でいう「庶民」の金銭感覚ではやっていけない。

●じゃあ、日本の一般庶民がパリ近辺で暮らすにはどうすればいいかと言うと、もちろんそういう大多数の層の人が手が届く範囲で住める場所はパリ市内でもパリ郊外でもたくさんある。でもその場合、近所の騒音、汚い歩道、アパートの質の悪さ、窃盗、もっと悪い場所で言うなら、乗用車への放火、銃撃事件、若者の麻薬取引を目の当たりにする可能性があることは覚悟しよう。(そして、家賃はケチらないこと。高い家賃のアパートの周辺は、こういうことが起こる確率が多少は低くなるから。)

●フランスで英語が通じないと嘆かない。それは日本で中国語が通じないのと同じこと。

●一度ぐらい財布を盗まれたりしても、嘆かない。日本人だけでなく、現地のフランス人でも同じ被害に一度はあっている。

●意地悪で嫌な人の数だけ、親切でやさしい人もいる。嫌な人しかいないと思うのは、まだあなたが良い人たちに会うチャンスに恵まれていないだけ。

●せっかく異文化に触れるためにフランスに来たのだから、日本人と群れるのではなくて、フランス人とだけ付き合おうと最初から決めないこと。それはそれで素晴らしい心構えかもしれないが、それはかえって海外生活の可能性の幅を狭めていることにしかならない。

●怒りは溜め込まない。嫌なことをされたら、公然と怒っていい。

●落ち込んだら、パリのあちこちにある美しいものを見よう。

***

私は2年間パリ郊外に住んでみたが、実際に経験した「ショック」だったことを挙げるとすると、

●新年が明けた元日の夜中に、近くの駐車場にあった乗用車が放火された。

●気温0℃近い厳冬の日に、ジプシーの女性がまだ一歳にも満たないであろう赤ちゃんを抱いて路上座り込み、物乞いをしていた。

●スーパーでビニール袋で包装されたズッキーニを買い、家で開けてみたら一本以外すべて腐っていた。レシートを持ってスーパーに「これを替えて下さい」と言いに行ったら、
「うちのスーパーは腐ったものなんて置いてないわ。よく見ないで買ったあなたが悪いのよ!交換もしないし、返金なんてできるわけないじゃない!」と言われた。

●パリの地下鉄でスリ未遂にあった。幸い何も取られなかったのだけど、スリを実行しようとした人はちゃんとした身なりの若い女性。私はその相手を睨み返したのだけど、相手はケロリとした笑顔で「あらー、失敗しちゃったわ〜」と開き直っていた。

●パリのオペラ通りにある銀行のATMでお金を下ろそうと思ったら、ジプシーの若い女性3人に囲まれて、お金を盗まれた。(この件はあとで詳しく書くつもり。)

●アフリカ系のおじいさんが、5、6歳ぐらいの女の子を抱えて路上でおしっこさせていた。人通りがない場所ではなく、バスも車も人もたくさん行き交う路上で。(違う場所で、2回も目撃してしまった)

●近所の公園の平日の昼間に、中学生ぐらいの男の子が数人、麻薬のようなものを交換しあっているのを目撃した。

●明らかにまだ免許を持てる年齢ではなさそうな若い男の子が、巨大な集合住宅の敷地内をバイクで爆音を鳴らしながら疾走していた。

最初にパリ近辺で日常的に起こっていることについて多少でも知識があれば、実際にパリに来て幻滅することも減るかと思って列挙してみた。改めて考えると、何て場所に住んじゃったんだろうな〜と思うけど、こうしたことの間に流れた日々の生活はとりあえず平穏だった。おそらく、私が独身で子持ちでなかったら、こういう環境でもこの現実は受け入れるしかないと自分に言い聞かせ、なんとかやっていけたと思う。でも、子育てをしている立場からとなると、この環境からは絶対に出なくてはならない、と真剣に思い悩み、奇遇にも来年早々にパリ郊外から引っ越すことになった。新天地はイギリスのケンブリッジ。

2011年12月9日金曜日

胎児の3D超音波エコーのリスクについて

昨日テレビのニュースでもやっていて、ちょっと気になった。

フランスの産科医協会(?とでも訳そうか。Les Collège Nationale des Obstériciens et Gynécologue Français)というところが、胎児への3D超音波エコー撮影のリスクについて警鐘を鳴らしている。胎児の脳、目、性器の発達に影響が出るそうだ。

アトランティコ紙の記事 (2011年12月7日付け)
「3Dエコグラフィー:親は喜ぶが、子供には危険」

3D超音波エコーを行うことで、胎児の奇形や問題を早期から発見できるということもあるみたいだけど、ただ単にお腹の中の赤ちゃんが笑っている顔が見たいから、というような理由で3D超音波エコーをやるのは、怖いのかも。

2011年11月23日水曜日

地雷と共に〜パリ郊外の散歩

私の夫は身長193センチメートルで、私は159センチ。私が息子を乗せたベビーカーを押しながら、3人で散歩すると、夫は自然と私の顔のほうに少し体をかがめるようにして話す。歩きながら34センチの身長差があるもの同士が話そうとすると、ちゃんと顔を向けて話さないとお互い何を言っているのか良く聞こえないこともある。(特に夫は声が小さい。)

ベビーカーを押している私は、自然と目線は前方下になる。すると、私の視界に必ず入ってくるものと言えば、犬のウンチ。夫は前をちゃんと見て歩いていないので、私は自然と「ああっ!!!危ない!気をつけてっ!」と叫んでしまう。

そこで一度会話が中断される。とりあえず危険物は避けて通り、再び歩きだしてしばらくすると、またそこにブツが。「キャー!踏まないで!!危ない!気をつけてっ!!」と危険信号を送る私。すると夫はあきれ返ってこう言い放った。

「俺を誰だと思ってるんだ!俺は子供のときから何十年とパリ郊外で育ってきて、道にコレが落ちているのなんていつものことなんだよ!ちゃんと前を見てなくたって勘でどこにあるのか分るんだ!いちいちこれぐらいのことでキャーキャー叫ばれると、こっちの長年鍛えた勘が狂うから止めてくれ!」

そうこう言っている間に夫の靴底がまた次の地雷に触れそうになった。

「あ!!今、踏んだよね!!ヤダっ!!汚いっ!
だからちゃんと前を見てって言ったじゃない!」と半狂乱の私。

すると夫はこう開き直った。「今のは乾いているウンチだから問題ない。」

ひぇえええええええーーー。

誰かフランス人の論理を論破する方法を知っていたら、教えてください…。

2011年11月21日月曜日

私の好きなパリ♥ 13区ルネ・ゴシニ通り

学生の頃、ヨーロッパ文化を理解するには、聖書とギリシャ神話を理解していることが重要と言われ、阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか』『ギリシャ神話を知っていますか』などを読んだ覚えがあるが、実際フランス人と結婚してみてわかったのは、普通のフランス人と会話するならルネ・ゴシニ作品は知っておかないとダメだということ。

ルネ・ゴシニ(René Goscinny 1926-1977)は、『アステリックス(Astérix)』, 『ルキ・リュク(Lucky Luke)』, 『プティ・ニコラ(Petit Nicola)』などの子供向けの漫画・小説のストーリーを手がけた作家。どれも英語を始め、他の言語にも訳され、欧米で知名度を誇る作品群だ。『プティ・ニコラ』は、簡単なフランス語で書かれているので、私でも原書で読んで楽しめた。ただ、夫が「この面白さがわかればフランス語はもう心配ないはず」と評する『アステリックス』に関して言えば、日本の漫画で育った私には全くダメ。絵柄がかわいらしくないし、登場人物の長ったらしい名前(それがフランス語の言葉の意味合いとかけてあってジョークとなっている)を見ただけで眠くなってしまう。

夫はルネ・ゴシニ作品の本を子供の頃から大切にとってあって、息子と将来一緒に読むんだと意気込んでいる。私は一度「古いから捨てよう!」と言ったことがあるのだが、「お前だって日本の実家に子供の頃買ってもらった『キャンディ・キャンディ』をまだとってあったじゃないか!」と言われシュンとしぼんでしまった。

このルネ・ゴシニにちなんで名付けられた通りが13区にある。

「ローマ人は狂ってる!」は『アステリックス』の中の名ゼリフらしい。
”Je veux être calife à la place du Calife!"
は『Iznogoud』より。

漫画のセリフがあちこちに…

『プティ・ニコラ』の登場人物の説明が壁に。この壁を抜けると小学校の校庭が見えて、
プティ・ニコラの世界が頭によみがえってくる!

夫はこうした吹き出しのセリフを全部知っていて、どの漫画からのセリフなのかを教えてくれた。漫画を知らない私でも、さすがに壁の『プティ・ニコラ』の後、学校見えたときには心が踊った。

しかもこの通り、子供関係の施設が密集しているのだ。学校、公園、保育園。それに小児科が入った総合クリニックもある。(ここの小児科の先生はアラブ系の女医さんで、一度お世話になったことがある。うちの子が予防接種で泣いたとき、飴をくれようとした…。まだ2歳なので甘いものはちょっと勘弁してほしかったのだけど…。ちなみに、ここのクリニックは夏のバカンス期間でも予約が取りやすかった。)

この通りがある地下鉄14番線Bibliothèque François-Mitterrand駅周辺は、鉄筋コンクリートのビルが立ち並び、殺伐としてあまりパリらしくない雰囲気なのだけど、このルネ・ゴシニ通りに来ると、大人も子供にかえったような気分を味わえるのだ。

さて、この通りにはエレキギター屋さんも一軒ある。コアなファン向けに特注されたギターしか置いていないような店なのだけど、ロック好きでギターを3本もコレクションしている夫は、この店先でもテンションがあがった様子。私はあまり興味がないのだけど、ショーウィンドーの奥をのぞくと…。なんと!

ドラえもんギターが!!(ちなみにここのギター屋はいつも閉まっているような気がする。)

と、言うことで暇な人は一度は訪れてみて下さい 。

2011年11月20日日曜日

マルシェ攻略法

週2回、だいたいフランスの街のどこでもマルシェ(市場)が開かれる。
前住んでいたパリ郊外の街では週3回だった。そのときの習慣からか、わが家では食料品購入はほとんどマルシェだ。スーパーで買うものと言ったら、トイレットペーパーなどの日用品、ヨーグルト、牛乳、パスタぐらい。そもそもフランスのスーパーというのは、日本のスーパーのように従業員が力を合わせて今旬の物をお安く売りまっせ、というような企業努力はほとんどない。なので、そういう商人魂が息づく場所と言ったら、マルシェしかないのだ。

パリのように観光客が多いマルシェでは、大きな通り沿いに軒を連ねるような形で店が立ち並ぶが、パリ郊外だと、マルシェ用に駐車場みたいな広い場所がもともとあって、そこに露店が立ち並ぶ。青果店の数が多く、フランス人がやっている場合とアルジェリア人かと思われるアラブ人系の人たちがやっているお店がある。

最初にマルシェで買い物するときに、どこに並んでどうやって品物を選べばいいのか戸惑った。お店がただ横に長いだけの店だったら、とりあえず列の最後尾も見分けがつくのだけど、四角くお店が囲ってあって、真ん中に行商人がいるというタイプだと、どこで商品を選び、どこから並んでいいのかも分らなかった。

フランス人経営の青果店の場合は、とりあえず並ぶ。基本的に自分で欲しいものは自分の手で取らずに、お店の人に取ってもらう。でも、お店の人が居る場所から欲しい商品が離れた場所にある場合は、自分の手で持っていっても良い。そして自分の順番が来たら、欲しい物を「○○を何個ください」とか「○○を何百グラムください」というような感じで注文する。何グラムか分らない場合は、手で「こんな感じ」と見せて、掴む量を伝えている人もいる。それで測ってもらって「あともう少し入れて」とか調整してもらうのだ。

一方、アラブ人経営のお店は、少し様子が違う。まず、列というのがなく、だいたい日本の特大バーゲン会場状態のように、頭をスカーフで巻いたアラブ系のおばちゃんたちが商品をあさる。手の届くところにビニール袋が用意してあって、欲しい物は自分で選んで取っていいのだ。ある程度選んだら、支払い。列がないのでどうやって自分の番を待つかというと、商品が入った袋をお店の人に向けて高くちらつかせ、「ほら、私終わったわよ」みたいな顔で待つだけ。私の場合は袋を掲げて、じっと静かに視線を送る。たいがいお店の人はすぐ気がついてくれる。支払う前に他に何か欲しいものがあれば、言うとお店の人が取ってくれる。アラブ人経営の店のほうがフランス人の店と比べると少し安い。あと小さいけれど質のいい大根を売っていたり、大量のフレッシュミントを売っていたりするので、たまに覗くと面白い買い物ができて楽しいのだ。

ちなみに夏のバカンス時期には、フランス人のお店は2週間ぐらい閉まるので、アラブ人のお店にお世話になることが多い。また、おつりは、サンチームの一桁の額になると曖昧な態度を取られることもある。だますつもりできちんと返さないというよりも、あまりそこまで気にしていないという感じのほうが強いと思う。一度私が端数の金額分の小銭が見つからなくてお財布の中を必死に探していたら、「じゃあ、小銭分だけまけてあげるよ」と言われたこともある。

さて、私がマルシェで必ず買うものがある。それはフランス産のしいたけ。パリ郊外の77県で採れるものらしく、肉厚でおいしいのだ!ちゃんと「Shii-také」と日本語のままマルシェに並んでいます^^/


2011年11月8日火曜日

フランスの療育

1ヶ月半検診のときに「パパ、ママ」も言えなかった息子は、フランスのPMI(日本の保健所みたいなところ)にいる小児科の先生(IMF専務理事のラガルド女史似の先生)に、「言葉が遅い!」と怪訝な顔をされた。しかもまだその頃息子は伝い歩きがやっとで、ちゃんと歩くこともできなかったため、先生は「この子おかしい。発達に問題あり。」と断言。

検診のときにいっしょに来てくれた夫は、この先生の態度にかなり不満で、セカンド・オピニオンを求めようと別の小児科の先生に会いにいった。予防接種のついでにセカンド・オピニオンを聞こうとしたのだけど、今度の先生(赤い蝶ネクタイをしたおじいちゃん先生)は注射に大泣きしたうちの子を早く追い払いたいように、「別に今歩かなくったって問題ないよ〜、言葉もそのうち話すよ〜」と一言で診断され終了。

いったい、どっちの先生を信頼したらいいのか。結局最初に会ったラガルド女史似の先生の厳しい言葉が強烈だったので、その先生に「発達が遅いというなら、どうすればいいの?発達を見てくれる先生を紹介してくれ」とお願いし、児童精神科の先生(pedopyschiatre)を紹介してもらった。日本だと一歳半検診でひっかかる子供は「療育センター」というところで、詳しい検査を受けたり、歩く練習をしたりすると聞いたので、児童精神科の先生って何?と思ったのだけど、これがこの国のシステムならしょうがない。先生に会うことになった。初回の面接のときに、その先生とペアでpsychomotoricianという日本で言う療育師さん(?)のような先生が毎週息子の動きを見て、その先生からの報告をうけて最終的に児童精神科の先生が診断します、と説明される。

じゃぁ、はりきってpsychomotoricianの先生とお会いしてみようということになり、会ってみたら、若くてかわいらしい女の先生だった。大きな黒い瞳に黒い髪、ボーイッシュな髪型が似合って、ananの表紙になってもおかしくないような妖精のような先生。この先生の部屋にはたくさんおもちゃや遊具があって、息子も行くと大喜び。しかもこの先生も一緒になって息子と遊んでくれるので、毎回セッションの時間は息子も楽しみにしている様子。でも…。日本の「療育センター」だと歩けない子がみんなで一緒にグループで遊んだりすると聞いていた私は、これでいいのか?と疑問符。基本的には毎回おもちゃや遊具を使って先生と息子は一対一で遊ぶ。(たまに私も遊びに合流)。まったく歩く練習とか、「ほら、ちょっと立って歩いてみようか〜」と先生が息子を促すことも全くない。

そこで、3度目の面接のときぐらいのときに、おそるおそる先生に聞いてみた。
すると先生は、
「心配しなくても大丈夫。絶対そのうち歩くから。今(当時うちの息子は1歳7ヶ月)ここで、無理に歩かせようとすると骨に負担が掛かったりするから、この子が歩く気になるまで待ちましょう。この子は外の世界と接するときの恐怖が普通の子に比べてちょっと強いみたいね。だから、こうやってハイハイしながら、テーブルの下をくぐったり、障害物を超えて行ったりすることで自分の体に自信がつくから。その練習を毎回してるのよ」
と言う。

確かに、毎回先生は椅子やトンネル、クッションとかで障害物をつくり、その間をうまく息子がすり抜けていけるような行動をうちの息子に促していた。ただ単に遊んでるわけじゃなかったんだなーとホッとしたけれど、2歳の誕生日を迎えても息子は自分で歩かなかった。

公園に息子を連れては行くものの「外の世界と接するときの恐怖」が少し強い息子は、ただ泣いているだけで終わった日もある。それでもめげずに公園に連れて行ったある日、ふと気がついたことがあった。あるときから必ず息子は遊具の下をハイハイでくぐるようにして遊ぶようになった。(当初私は外の地べたをハイハイさせることに非常に抵抗があったのだけど、psychomotoricianから汚いとか気にすることないですよと言われ、地べたハイハイをOKにした)

そんな日々が1、2週間ぐらい経った後、息子は自分の足で歩き出した。最初は私たち親が見ていないところで、トコトコトコっと歩き出し、「あ、あれ!歩いてる!」と私が叫ぶと、息子はデヘーっと恥ずかしそうに床にひれ伏す。私が「ほら、もう一回歩いてみせてよ〜!」と言っても息子はダハァ〜!と恥ずかしそうに叫び、床にゴロゴロ。で、夫と私が諦めてまた自分たちのことに取り掛かると、トコトコトコっと息子が歩いてきた…!

2歳1ヶ月で歩き出した息子を見たその日、私がうれし泣き状態だったのは言うまでもない。

2011年10月31日月曜日

フランスの図書館

子供を連れてよく図書館に行く。日本みたいに子供をいつでも連れて行ける児童館というものがないので、つい図書館の利用頻度が高くなる。

私の住む街の図書館では、大人用と子供用と建物が別れていて、それがありがたい。とても小さな図書館だけど子供用の図書館なので、赤ちゃんや幼児がちょっと奇声をあげても、図書館のスタッフさんたちも寛大。ただ、うるさく騒ぐ小学生ぐらいの子がいると、彼らはちゃんと注意してくれる。この小さな図書館に常時5人ぐらいスタッフがいるというのは、フランスが「読書」ということに国として予算を充てているということなのだろうか?と思ったりした。(ただ、開館時間は日本に比べて週休3日で1日平均5時間と短い。)

しかも、ここの図書館のスタッフさんたちは子供好きなのだ。2歳になったうちの息子を見ては、「あ〜、大きくなったね〜」と声をかけてくれたり、暇なときには子供に本を読んでくれたり、歌を歌ってくれたりする。先日はある司書さんが、「とっても素敵な日本語の絵本もあるのよ」と言って、いそいそと特別閲覧用の奥の棚から絵本を出してくれた。それは、駒形克己という造本作家が製作した絵本で、子供に勝手にさわらせるのはもったいないぐらいの、「Blue to Blue」という美しい絵本だった。

魚のサケが川で産まれて、また産まれた川に帰ってくるまでの短いストーリーなのだけど、本を開いただけで、まるで自分がサケになったかのうような、不思議な感覚に包まれる。青という色彩を上手に使うだけでなく、サケという魚の視点から書かれた短いストーリーに、ついハッとする生命の不思議を実感できる。そんな絵本だった。

本を返すときに司書さんに「うちの子にはまだちょっと早いようだったけど、とっても素敵な絵本でした。」と言ったら、司書さんは「そうでしょ、でも大人が楽しめればそれでいいのよ。」と笑顔。子供好きで本好きな司書さんたち。今住んでいる街自体はあまり好きではない私だけど、この図書館に出会えたのは本当によかったと思う。

我が息子は、この絵本を読んであげているときにはあまり集中していないみたいに見えたけど、この絵本を見せた次の日ぐらいから、「あおっ!(青)」と言えるようになった。

2011年3月27日日曜日

インドネシアの少女

■白布に手形で日の丸…ジャカルタで日本激励
(読売新聞 - 03月27日 20:09)

2004年にインドネシアのスマトラ島で大津波があった時、私は女友達と現地で知り会った日本人の男性と3人でジャワ島をのんびり観光していた。スマトラ島の大惨事とは裏腹に、ジャワ島の観光名所ボロブドゥール寺院周辺は静かな自然と田園風景が広がっていた。

そこで、修学旅行のグループのような11歳〜13歳ぐらいの少年少女団体さんに出会った。彼らは日本人が珍しかったようで、私たち3人はまるでス ターのような待遇をうけた。握手して下さい。いっしょに写真を取って下さい。みんなちゃんと英語で話しかけてくる。その中にとても英語が上手なイスラム教 の白いベールを頭に付けた女の子がいて、大きな瞳を輝かせながら、「日本は最先端の技術を持っているから、大きな地震がきても建物が壊れないって本当ですか?」と質問してきた。よくこんなことを知っているなぁ、と感心しつつ、インドネシアが日本と同じ地震の国であることを初めて意識した。

今回の地震で世界中の人が日本を応援してくれていると知った時、この女の子を思い出した。好奇心旺盛な子で、この他にも「日本人の女性は30歳 になっても結婚しないって本当ですか?」とか「あの一緒にいる男性は、あなたの旦那さんじゃないんですか?」ときわどい質問を立て続けに直球で投げきて、 私は回答するのにかなり戸惑ったけど、そのおかげで良い思い出となった。

ホテルに帰ってから、スマトラ島で大地震があったことを知った。国際電話で両親に電話をしたら、「もうお前の死体を探しに行く覚悟を決めていたから、本当に無事でよかった」と珍しく父の感情のこもった声が聞こえてきた。

その後2006年にジャワ島中部でも大きな地震があり、3500人程の死者を出したと聞いた。あの女の子は元気だろうか?もしジャワ島の地震の被害から逃れて生きていたとしたら、今も彼女は日本人にエールを送ってくれているだろうか?

私は日本の最先端技術を支える技術者でもなく、人から賞賛を浴びるに値しないごく普通の人間なのだけど、彼女の純粋な日本への好奇心を目の当たりにしてから、 自分がその彼女の期待を裏切らない日本人として生きているかどうかを、少しだけ気にするようになったような気がする。

焼け野原、瓦礫の山

津波が残した瓦礫の山の映像をテレビで見て、最初に思い浮かんだのは昔見たことがある野田秀樹の戯曲『走れメルス』のラストシーンだった。
http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Hashire-Merusu.html

はっきり言って舞台の内容はほとんど覚えていなかったのだけど、なぜかこの舞台のクライマックスで名優古田新太が「瓦礫の中から掘り起こせ!裸一 貫から立て直すんだ!」と言ったような内容を叫んでいる光景が強烈な印象として残っていて、それが津波の爪痕を見た時に私の耳によみがえってきた。

『走れメルス』を書いた野田秀樹さんは今何を思っているのだろうとネットで探してみたら、今も精力的にがんばっているようでうれしくなった。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103210146.html

しかも、今公演中の『南へ』という作品も、今の日本の姿をズバリと風刺しているような感じがして、おもしろそう。
http://www.nodamap.com/productions/toSouth/

野田さんが『走れメルス』を書いた頃は、きっとあの舞台に再現された瓦礫の山は第二次大戦で日本が敗戦を迎え、日本中どこもかしこも焼け野原と なった風景が元になっていたはず。そう、これまでは、日本人にとって戦後の焼け野原の風景が、今の日本を作り上げてきた原点だった。

でも、これからは東北地方の瓦礫の山が日本人の心的風景の原型になるだろう。焼け野原も瓦礫の山も、いつもそこが日本人の原点。そこから新しい世界が始まる。

2011年2月27日日曜日

仏検準一級に合格。

日本では合格証が先週の金曜日頃受験者に送られたようだったけど、パリで受験した私には、暫くなんの音沙汰もなく…。フランスの郵便事情のせいなのかも、と考えたりやきもきしていたので、パリ受験を統括している日本人会に電話したら、「あ、昨日発送したので、明日ぐらいには着くと思います!」との返事。で、そのお達しのとおり、次の日合格証が届いていた。フランスに住み始めて1年ちょい経ったけど、まだ大きな郵便トラブルを経験していない私はラッキーだと思う。

合格証を手にして、とうとう準一級まで来たか!という達成感が60%で、あとの40%は、今回も自分の英語力に助けられて受かった、という反省というかすっきりしない気分。そろそろ英語の文法構文にフランス語の単語を当てはめて話す癖を本気で抜かないとまずい。今回も合格点ぎりぎりで受かっていたのだけど、一歩外に出てフランス社会に触れると、おでこに「努力を要す」というハンコをぺたっと押されたような気分になる。

でも今回も絶対落ちた、と思っていた。日本の時事問題が出ると聞いていたので、中国関連とか、子育て関係、民主党の動きなどいろいろと考えていたのだけど、問題を受け取ったときに、一問目の質問が全く理解できずに面食らった。単語すらも解らず、二問目の質問でスピーチを考えるしかなかった。一問目はRomsという単語があったので、どうやらロマ人の受け入れ問題についてだったような気がするのだが、フランスの時事問題が出るなんて寝耳に水だった。パリで受験する人はフランス生活が長いから、という配慮だったのかもしれないけど、そんな配慮は私には無用だった…。しかも、日本では私が予想した中国関連の問題が出ていたようで、チッと舌打ちしてしまった。

で、私が選んだ2問目とは「若い人が新聞を読まなくなってきている。どう思いますか?」みたいなタイトルだった。(はっきり覚えていないところが私のフランス語のあやふやさを示している)緊張していたのと風邪を引いていたのが重なり、「グヴェルヌマン」と発音するべきgouvernement(政府)という単語が何度か英語の発音ぽくなり、言い直そうと四苦八苦していると試験官から「グヴェルヌマン。」と助け舟が出たり…。

ほんと、棚からぼたもちでもらえた「合格」だった。次は一級に行く前にDELFで鍛え直そう。

2011年1月11日火曜日

イギリスの大学もここまできたのか…。

アラン・ド・ボトンが書いた、 イギリスの大学における人文科目教育の衰退問題について書かれた論評に興味を持った。私がイギリスの大学に籍を置いていた90年代、すでに学生の文系科目離れが目立っていて、日本で英文学科専攻だった私は、とりあえず名前の通った私大だったため、就職にもあまり不利(特に有利ということもなかったけど)とはならず、日本に生まれて幸せだなぁと思ったものである。筆者アラン・ド・ボトンという哲学者を今回初めて知ったけど、鋭い視点で大学教育について述べている。

読んでいて、ドキリとしたのはこの部分。
However, right now, at this difficult moment in the history of British universities, there is a need to acknowledge that at least some of the woes that have befallen academics is squarely their own fault. To put it at its simplest, academics in the humanities have failed to explain why what they do should matter so much. They've failed to explain to the government, but this really only means "us" - the public at large.

(抄訳)
「 しかしながら、英国の大学史上困難な時期にある現在、少なくとも人文科目の学者にふりかかる災難は、明らかに自分たちの落ち度であると認める必要がある。簡潔に言い換えるなら、学者たちは、自分たちの仕事がなぜ社会に重要なことなのかについて十分に説明しそこねた。政府に説明しなかっただけでなく、さらに言えば『私たち』つまり『公に』向かってもそういった説明をしてこなかったのだ。」

 人文科目(哲学、文学、アート論)の研究が社会にとって重要だというだけでなく、それがどうして重要かを十分に議論するなんて、可能なのだろうか?凡人の私には「なんとなく重要」としか言いようがないのだけど。

この問題は、イギリスだけでなく世界的な問題だと思う。日本でも、フランスでも、アメリカでも。とりあえず、私は息子に「なんで本を読まなきゃダメなの?」と質問されたときの答えを今からゆっくり準備しておこう。

2011年1月9日日曜日

産業スパイ

 え、ルノーに産業スパイが!中国に電気自動車の機密を盗まれたって?

結局「中国」に機密が漏れたのかどうかははっきりしないままになってしまったけど、この話題で「中国」のことが囁かれるなんて、ちょっと必要以上に騒ぎ過ぎているような気がする…。たしかに、中国は日本にとってもいろんな意味で脅威なのだけど、フランスがそれを言える立場にあるのかなぁ…と疑問に思った今日この頃。

毎日新聞によると、フランスメディアは「中国に産業スパイの慣習がある」と騒いでいるらしいが、実は、1月8日付けのルモンドにWikiLeaksが発信元の面白い記事が載っている。


以下、一部抜粋。

La France, plus encore que la Chine et la Russie, serait le pays le plus actif en matière d'espionnage industriel chez ses alliés européens.
 フランスは、中国・ロシアよりも、EUの中で産業スパイ活動が最も活発な国かもしれない。

 "La France est l'empire du mal en ce qui concerne le vol de technologies, et l'Allemagne le sait"
 「フランスは、テクノロジーを盗むことに関しては悪の帝国であり、ドイツはそれを知っている。」

Wikeleaksって、やっぱりすごいかも。


2011年1月5日水曜日

今年の漢字は「自」

今年の私の目標は、「人と比べない」。漢字一字で表すなら「自」。
人と他人を比べての自分ではなく、「自ら」の視点で自分を評価すること。

昨日1月4日は、日食と山羊座の新月が重なるという占星術的にはパワフルな日だったそうで、そのせいかは分らないけれど、私は昨日ちょっとしたことで気落ちしてしまい、何もやる気が起きなくなった。仕事から帰宅した夫に、「ごめん、今日は夕飯が作れない…。」と切り出したら、夫はさらりと「いいよー、パンとチーズ食べるから。」と言ってくれた。(最近夫は仕事がうまくいっていて、比較的機嫌がよい)とにもかくにも、夫に心底感謝した日でもある。

さて、昨晩はゆっくり寝て、今日は息子を散歩に連れて行ったり、たまった家事を片付けたりと、とりあえずすっきりしない気分のまま、やれることだけをやり…。そしてふと、自分のモヤモヤの原因は、自分を人と比べてしまうことだと気がついた。

去年後半からずっと気にしていたのだけど、一歳半になった息子がまだ歩かない。 「遅い子もいるから心配しないで」というのが親や友達、インターネットを通しての情報だったけど、先月一年半検診に行ったら、小児科の先生に「この月齢で歩かないなんて、おかしい!」とばっさり切り捨てられたときには、ショックだった。(日本の先生だったら、もうすこしオブラートに包んだような言い方しないかなーと思ったりもした)

夫も気にするな、と気遣ってくれ、息子もなんだかんだ言っても楽しそうにつかまり立ちをしているので、気にしないようにしていたのだけど、昨日ふとしたことで、うちの子と他の子を比較する「負のスパイラル」がスタートし、とうとう何も手がつかなくなるまで落ち込んだ。

自分の息子を他の子と比較すると、結局母親である自分を責め、自分はなんてダメな母親なんだろうと、自分の悪い所ばかりに目についてしまう。

「自分の視点で自分を評価する」という目標は、私のためにたてた目標だけれど、しいては息子のためでもある。息子にも、息子らしく育っていってほしいから。