2010年6月4日金曜日

奇跡のメダイ教会


5月下旬、ちょっと肌寒い日が続いた。冬の間はセントラルヒーティングがよく効いて家の中では半袖一枚で過ごせるのだが、こういう季節外れの寒い日にはセントラルヒーティングは作動しない。背中からゾクゾクっとくる寒気を感じて、ああ、やっぱりあのときの『寒気』と感じ方が違うなと思った。

その『寒気』というか、久々にゾクゾクっとくる『鳥肌』を感じた場所は、パリの『奇跡のメダイ教会』と呼ばれるに小さな教会。こっちに来てから偶然にも二人の別の知り合いから「とってもいいから場所だから是非一度行ってみてね」と言われていた場所だ。

私はクリスチャンではないのだが、正直な話、今回フランスに住み始めてから、キリスト教(特にカトリック系)って苦手かも、と思うようになっていた。前世で何か悪さをして、キリスト教の神父さんとかシスターたちに叱られたのかもしれないと思うほど、教会の前を通る度になぜか「すいません」と『謝罪』モードになってしまう。

でも、なぜかこの教会の話を聞いたとき、いやな気はしなかった。むしろ不思議な興味が沸き、是非行ってみたいと思っていた。ただ、やっぱり「聖母マリア様が降臨されたという奇跡の場所」と言われると、そんな奇跡なんて…と、半信半疑になってしまう。でもとにかく5月の最後の日曜日に偶然一人でパリに行く用事ができたので、そのついでに足を運んでおくことにした。

着いたとき、「あ、はずれだ」と思った。日曜日はミサをやっていて教会は人であふれている。小さな教会の落ち着いた雰囲気を想像していた私としては、ちょっとがっかりだった。とりあえず、すこし様子を見ようと教会の後ろのほうで待っていたら、どうやらもうすぐ終わる様子だったので、待つことにした。待っている間、信者でもない私がこんなところにいて申し訳ないと肩身の狭い思いをしながら、ミサに飽きてしまった女の子を懸命にあやしているアフリカ系のパパの姿を微笑ましく眺めていた。

どうやら終わったようだ。まだ人だかりは消えないけれど、とりあえず祭壇のほうには近づけるぐらいに空間が広がって来た。教会は淡いブルーを基調とした内装。それが教会独特の琥珀色のライトと溶け合って、とてもいい感じがした。祭壇前には祈りを捧げる信者たちがまだたくさんいるけれど、せっかく来たんだからもうちょっとそばでマリア様を見ていこうと思って祭壇に近づいた。

教会を中程まで進んだときだった。
サワサワサワーっと胸の辺りから鳥肌が立ってきた…。
それは頭を通って、空へ抜けていくような感じ…。

別に教会のマリア像や、壁に描かれた天使のモザイクなどの美術品を取り立てて美しいと思っているわけではなかった。でも、私の体は何かに反応して『感動』していた。それは明らかに恐怖からくるものではなく、不思議な暖かさを含んだ感覚…。

10分ぐらいそうした感覚に包まれていたと思う。ぼーっとしながら教会を後にしようとしたとき、何か胸には熱いものが込上げていることに気づく。泣きはしなかったけど、泣きそうだった。

これまで過去に、ある場所に行って今回と同じような鳥肌を感じた事は何度かあるけれど、この教会で感じたほど、強いメッセージを運んでくれた場所はなかった。

泣きそうになった私が感じていたこととは、「あなたも母親よ。」というシンプルなメッセージ。母親になった私は「こんな母親でいいのかな、もっとちゃんとしなきゃいけないんじゃないのかな」と常にどこか不安だった。でもこんなダメな私でも、母は母。別に「良い母」になろうと努力をしてもしなくても、私はすでに母親で、それだけで十分だよ、と誰かがささやいてくれた。

帰り道、最寄りのセーブル・バビロン駅前に、創業100年を迎えたホテル・ルテシアがあることに気がついた。たしか、私の好きな作家が、このホテルについて書いていたなぁと偶然の遭遇にうれしくなる。ホテルの反対側には小さな公園があり、木々の緑が美しかった。パリは、まだまだ奥深いなぁと思った。





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