2010年6月19日土曜日

凱旋門、シャルル・ド・ゴール、カルラ・ブルーニ


昨日、パリの日本大使館に寄ったついでに、凱旋門前を通った。「我々は勝利者だ!」との雄叫びが聞こえてきそうなその建造物から湧き出るパワーを感じながら、同じ兵士として国のために戦ったのに、東京にひっそりとたたずみ、そして常に複雑な議論が絶えない靖国神社のことを思い浮かべた。


***


先日、夫が図書館から谷口ジローの『坊ちゃんの時代』を借りてきた。
J'ai envie d'ecrire un nouveau roman.  Je ne comprend pas de tout ou va le Japon.
(新しい小説を書きたいんだ。日本がどこへ行こうとしているのかまったくわからん。)
という夏目漱石の台詞から始まる。谷口ジローは、フランスではかなりの人気漫画家。彼の作品のほとんどはフランス語訳が出版されている。


***


1940年6月18日は、フランス人にとって忘れてはならない歴史的な日らしい。この日、シャルル・ド・ゴール将軍はロンドンのBBCラジオを通して、「フランス抵抗運動の火は決して消されてはならず、またこれからも消されることはない(La flamme de la resistance francaise ne doit pas s'eteindre et ne s'eteindra pas. ) 」とフランス国民にナチスドイツに対する抵抗運動参加を呼びかけた。この日からパリがナチスから解放されるまで、ド・ゴールはロンドンを本拠地としてフランスの抵抗運動を指揮した


今日はその式典のために、サルコジ大統領はカルラ・ブルーニ夫人を伴ってイギリスを訪問。民放放送のTF1, 国営放送のFrance2は共にその式典をロンドンからのライブ中継で放送した。今年はこの出来事の70周年を迎えるとあって、マスコミも力を入れているようだ。この史実について、私は今回フランスに来て初めて知ったのだが、あの狂気的な第二次大戦中に、日本にはド・ゴール将軍やウィンストン・チャーチル英首相のように国民を強く鼓舞し正しい方向へ導いていく政治家が誰一人としていなかったことが、とても悔しい。江戸から明治という劇的な変化を迎えたとき、日本には優秀な官僚、政治家たちの頭脳が多いに発揮された時代があったのにも関わらず、あの太平洋戦争での日本の舵取りの誤り方はいったいなんだったのだろうと、考えてしまった。


厳かな式典の中で私の目を引いたのは、やっぱりカルラ・ブルーニ。ディオールの灰色仕立ての地味なワンピースを軽やかに着こなし、さすがは元トップモデルの存在感。英キャメロン首相の妻サマンサ夫人もかなりチャーミングな女性で、妊娠中の彼女は白と黒のマタニティフォーマルで式典に参加していたけれど、正直に言ってカルラとツーショットにならなければならないサマンサ夫人に同情した。あぁ、決してトップモデルの横に並ぶべからず。サマンサ夫人が後でカルラとのツーショットの写真を見て、気落ちしないことを祈るばかりだ。


普通、ある国の元首が歩いてくるところを見るとき、「あ、オバマが来た、オバマが来た、あ、その後ろにミシェル夫人も…!」と言うように先にその国のリーダーを確認した後、その夫人がどんな人かを目に焼き付けようとするのだが、サルコジ大統領とカルラ・ブルーニの場合は、「あ、カルラが来た、カルラが来た、あ、その前にサルコジがいた…!」と思ってしまう。そういう人は私だけではないはず。カルラ・ブルーニのオーラは、それぐらいすごい。

0 件のコメント:

コメントを投稿