2010年5月28日金曜日

自分の言葉に救われる

誰だったか名前は覚えていないのだけど、俳句か短歌を書く詩人が「行き詰まったときに、自分の昔の詩をもう一度読み返して、その自分の言葉に救われることがある」ということをテレビで言っていたのを覚えている。

そういうことが最近私にも起きた。私は自分ではどうにもならない悩みが膨らむと、チャック・スペザーノの『セルフ・セラピー・カード』というのを使ってみるのだけど、そのカードでわかったのが、私はまだ過去を引きずっているということ。それは、東京での会社員時代のことなのだけど、こっちに来てからもふいに思い出しては、苦い敗北感、挫折感に肩を落とすばかりだった。

だから、「思い出さなければいい」「あの出来事があったおかげで、今の生活がある」「あの出来事は、私にとってベストタイミングだった」といった言葉で一通り理解したつもりだったのだけど、それらは一時的に傷にばんそうこうを貼っただけだったようで、最近になってまた傷がうずうずと痛んできた。

『セルフ・セラピー・カード』によると、「過去を手放しなさい」という『手放す』のカードを引いたのだけど、いまいちよくわからない。このカードに限らず、タロットなど全てのカードは絵を見たときの自分の直感を信じることから発見があるものなのだが、直感さえも働かない。

そんなとき、ふと頭によぎった言葉がある。「人生は旅。」
つい最近ロラン・ドイチェの本を読みながら、自分でそんなことを考えていた。普段ブログを書くときは、割と長々と書いてしまう私なのだが、このときばかりはなぜか軽いつぶやき感覚で、「読書は旅、人生も旅だなー」と思っていた。あのとき、フランス語と格闘しながら、なんでこんなに『小舟』という文字に引っかかっているのだろうと思っていたけど、それも今ならなぜか説明がつくような気がする。

そう、私の会社員時代も一つの旅、旅行だったのだ。面接を受けて船に乗って、いろんな乗組員、旅人たち、途中下船する人、途中から乗船してくる人に出会い、追い風に後押しされたり、嵐に押しつぶされそうになったり、自分から途中下船しようと何度か考えたり…。結果は、もう大型船として航海するのではなく小型船に切り替えますと、船長から伝えられて、私は降りることになったわけだが、「この旅行は面白そう、ちょっと乗ってみよう」と思ったのはまぎれもない私自身。その『旅』が終わっただけなのだ。

そう思ったら、なんだか楽しくなってきた。黒い革ジャンを肩にかけ、波止場の一角に片足を立てて風に吹かれながら「人生は、旅だぜ…」と、宝塚の男役風につぶやいている自分を想像してしまった私。うぉー、これだ、かっこいい!!

「人生は旅。」と、かなり自己満足気味に自分の言葉に酔っているうちは、しばらく過去の思い出に振り回されずにすみそう。

2010年5月20日木曜日

坂本龍一の声の世界

ふと、私の息子は、私が話しかける日本語しか普段耳にしていないんだ、と気づく。
日本にいればいろんな人日本語が聞こえてくるけど、ここにいる限り、この子はフランス語のほうがよく耳にする音だ。

私も普段、自分の勉強のためと思ってフランス語のラジオやテレビを聞きながら息子と遊んだりしているけど、たまには息子にも私以外の日本語の音をちゃんと聞かせてあげないとなぁ、と思った。

そこで、日本にいるときよく聞いていたラジオ局J-waveのサイトからポッドキャスティングできるものを探してみた。この子は母親の女性の日本語しか知らないから、やっぱり日本語の男性の声がいいだろうな、と思っていたら坂本龍一の番組があった。

坂本龍一も近年すっかり『白髪の翁』という風貌に近づいてきたけど、声は全然変わらない。中学時代に、坂本龍一の番組を夜10時頃から毎週ラジオで聞いていたことがあったなぁと、遠い昔を懐かしく思い出した。

暫く日本語を聞いていない環境で彼の声を聞くと、『教授』の声にはいっそう深い味わいがある。一言で言うと仏教的。大晦日に鳴り響く除夜の鐘の音というか、蛙飛び込む水の音というか、お経の唱えに癒される霊の気分ってこんな感じなのかなぁーと思うくらい心地いい波動。「えーとー」「あのー」といった相づちと、「いやーこれすごいですねー」という感動を表す言葉を、すべて一定のトーンを保ち続けて話せる人って、そうは存在しない。息子も番組の冒頭に番組スポンサーの名前が英語風に読み上げられたときにはちょっとビックリした反応を見せていたが、『教授』の声が淡々と始まると一人遊びに没頭し始めた。

番組の後半で教授は、津田大介さんというインターネットにお詳しそうな方と、インターネット時代における著作権について対談していた。聞きながら、坂本龍一ってずいぶん日本のインターネット業界に貢献したんだなぁ、と思った。最近のtwitterのこととか、電子書籍についても話していて、今の世の中についてもいい勉強にもなった。息子のために、と思って聞き始めたのだけど、なによりも私自身が日本語にじっくり耳を傾けることに飢えていたようだった。

2010年5月18日火曜日

三つのうれしいプレゼント

先週の土曜日、日本から来たタロー・デ・パリの講師の方々とパリで食事をした。

女性4人と私。わいわいと女性らしい会話が日本語で飛び交う食卓を久しぶりに体験し、私のテンションもあがる。

ちょっとお会いできるだけでもうれしかったのに、おせんべいをお土産にいただき、さらに、彼女たちのポケットやバックから、速攻で日本を懐かしむ私が喜びそうなものをお土産に渡してくれた。

その一つが、飴。『男梅キャンデー』と黒と白で力強くパッケージされている。へぇ、日本で今こんなの売ってるんだなぁと興味を持ちつつ、なんてありがたい!と力強く感謝した。実は私、毎回パリに来るとき、飴を常備している。郊外から電車に乗ってパリ市内の地下鉄に乗り換えると、必ず喉が嫌な感じに襲われる。パリ市内に住むのは憧れるけど、やっぱり子供のことを考えると、こんな空気の悪いところに住めないなぁと思うのだ。梅味の飴なんてこっちでは売ってないから、とってもうれしかった。

もう一つのありがたいおみやげは、まさに『棚からぼたもち』だった。
講師のK先生から、「あ、生理用品いる?」と言われたときの私の驚き!!!
ピン、ピン、ピーンと、ビックリマークが三つ、頭にヒットした。
「夜用で大きいサイズなんだけど」
「ほ、ほしいです!!!」

その昔、北朝鮮のスパイだったキム・ヒャンヒのインタビューを読んだときに、彼女が「日本の生理用品の質に驚いた」と言っていたことを鮮明に記憶している私。フランスで生理になるたび、北朝鮮ではどんなナプキンだったのかなぁと想像しては私の状況はまだまし、と自分を励ましていた。日本の生理用品は、今でも常に進化し続ける超一級品だと思う。

そしてもう一つ、とびきりスピリチャルなプレゼント…。もらったとき、全身に鳥肌がすーっときた。それは、『奇跡のメダイ教会』と呼ばれるパリの小さな教会の絵はがきとブルーの聖母マリア様のペンダントヘッド。実は、前から何か青いペンダントヘッドのネックレスが欲しいなぁと思っていたのだけど、自分ではすっかり忘れていた。そのメダイ教会のペンダントは、まさに私が思い描いていた感じととても似ている…。

さすが、直感で生きているタロー・デ・パリの方々!すべて、私の潜在無意識が欲しがっていたものを直感で与えて頂きました。自分から意識して手に入れようとはしなかったものだけど、それが一度に三つも自分の手に届くなんて、本当に感謝しております!

2010年5月17日月曜日

赤い女たち

昼寝からぐずって起きだした息子をなだめようとテレビを付けたら、ちょうどアート専門チャンネルのarteでマルタ・アルゲリッチの演奏が始まるところだった。曲はベートーベンのピアノ協奏曲第2番。初めて聞く曲だったけど、五月の風ようのな、からりとさわやかな演奏だった。

この曲は息子の波長にも合っていたようで、最初すこしぐずっていたものの、だんだん落ち着いてきた。赤ちゃんが泣きやませる音楽にクラシックがいいとか、モーツアルトがいいとか、と言うけど、単に音楽が持つ波長と赤ちゃんがもつ波長が一致すると、赤ちゃんは泣き止むんじゃないかなぁと思う。息子がまだ生後一ヶ月頃、泣き止まないので赤ちゃんのためのモーツアルトというCDを聞かせてみたけど、まったく効果なかった。今ではあのモーツアルトを聞くと子供がかえって泣き出すような気がして、私はあんまりモーツアルトを聞かなくなった。

演奏は去年の夏スイスのヴェルビエ音楽祭(Verbier Festival)のときの録画放送だったが、アルゲリッチがすっかり白髪になっていて、それにちょっと驚いた。でも長くのばした白髪とは対照的に、彼女は口に真っ赤なルージュを引いていて、それがとってもかっこよかった。

聞きながら、私はやっぱりベートーベンが好きなんだなぁと思う。彼の音楽を聞いていると、自然に体が軽くなるというか、第4チャクラ(胸)あたりがふわっと開いていく感じがする。こういう演奏にはめったにお目にかかれるものではないから、今日はラッキーな日なんだろう。

後半は若手の中国人ピアニスト、ユジャ・ワン(王羽佳 Yuja Wang)の演奏。彼女はノースリーブの真っ赤なドレスで登場。『のだめカンタービレ』に登場する、お買い物好きな天才ピアニストのモデルは彼女かもな、と思った。超絶技巧を紡ぎだすその秘訣は、彼女の上腕筋かな!?肩から手首までにかけての彼女の腕の筋肉は、ちょっとしたプロゴルフ選手ぐらいありそう。小麦色の肌が真っ赤なドレスとうまくマッチして、またなんともセクシー。

フランスは今カンヌ映画祭期間中だから、よくテレビやニュースでレッドカーペットを歩く艶やかな女優さんたちを目にする。でも、今日のピアニスト二人はどんな女優さんたちよりも個性的で刺激的だった。やっぱり女は『赤』で勝負しなきゃね。ちょっと子育て中の私には縁遠い色だけど。

2010年5月16日日曜日

読書は旅

ロラン・ドイチェの『Metronome』をがんばって読んでいます。

embarcation, esquif, barque, pirogue... と2パラグラフ内に立て続けに意味のわからない単語が出てきて、一つ一つ辞書で引いたら、全部『小舟』という意味だった。なんだか損したのか得したのか…。

そういえば、パリ市の紋章は『船』だったなぁ。

377ページある本だから、一日一ページずつ読めば、一年後には読み終わります…。

果てしない旅に出た感じ…。

2010年5月12日水曜日

この国の個人主義

先週に引き続き、France 3で『ジョルジュとファンシェット』(George et Fanchette)の後半を見る。

ジョルジュ・サンドは、ショパンとの別れを惜しむ事なく、あっさりと次の恋人に鞍替え。しかも相手は自分の息子の仕事の同僚で、ほとんど息子と同年代の若い男性。で、息子モーリスは母親への嫉妬から、母の恋人である同僚を仕事から外してしまう。

さあ、母親ジョルジュはどうするか!?息子か、恋人か?この二者選択…!
と、ちょっと複雑な葛藤に悩まされるジョルジュを想像したのだけど、彼女はあっさり、きっぱりと恋人を選びましたとさ。あらあら。息子を一人田舎のお屋敷に残して、彼女の馬車は軽快に走り去る…。

やっぱり私は日本人だから、「あんた、それでも母親なの?」という感じがぬぐいきれずに見ていたけど、ドラマはそんな私の感情なんて抜きに淡々とジョルジュが新しい生活を楽しんでいるところを見せる。

なーんか、『のれんに腕押し』って感じをくらった私だったけど、主人は結構楽しそうに見ている。

ふと、気がついたのだけど、実は主人の人間関係も、このドラマにある人間関係と似ているところがあるのだ。さすがに、主人のお母さんに若い恋人がいる、という訳ではないのだけど、要はこのドラマの人間関係って『血縁<他人との愛情』。ジョルジュは自分の実の娘と息子とは馬が合わなくなってしまうのだけど、なぜか自分の娘と同い年ぐらいの召使いファンシェットとは気が合う。ドラマの後半では、ファンシェットのことを自分の娘とまで紹介する仲になっていた。

一方うちの主人も、親兄弟よりも『信頼できる』友人、親戚としかつきあわない。「親子の関係がうまく行ってない家庭、フランスには多いよ」と主人は言うのだけど、そりゃ、日本にだって多いよ。でも、日本の場合だと、いくら仲が悪くても、やっぱり血のつながった親や兄弟だから、なんとかうまくやって行こうと努力しようとする姿勢を見せるけど、このドラマでは、「だめなら、仕方ないじゃん」って感じ。血がつながっていても、関係を修繕しようとある程度やってみて、それでもだめなら無理にいっしょにいることはない、という姿勢のようだ。

今10ヶ月になる息子を育てている私としては、複雑な気分が残る。主人ももちろん、「この子とは、そういう関係になりたくないけど」とは言っているけど、この国の個人主義って、私にはまだちょっと未知で怖い。

2010年5月8日土曜日

この国に来た意味

あるときネットの掲示板で日本人の海外在住者が海外生活をうまくのりきるこつを書いている人がいた。「たまたまその国に行くことになり、ちょっとだけいるつもりが案外居心地がいいのでそのままずっと住むことになった、という場合の人のほうがうまくいく。」ということで、妙に納得した。

私は昔から外国に憧れがあって、20代の頃にイギリスに留学した。でもそこでは、ドーバー海峡の向こう側の国にさらに憧れが強まった。イギリスはもう留学生活だけで十分だったので日本に帰国したけど、フランスへの憧れはまだつのるばかり。とうとうその夢が30代の後半で実現して、こっちに来る前は有頂天だった。

でも、やっぱり『憧れ』や『夢』は必ず『現実』で目覚めるもの。フランスに来たら、なぜか日本の生活が懐かしくなり、恋しくなり、日本ってやっぱりいい国だよなぁって思い始める。しかも、あんなに嫌だったイギリスも、田園風景がきれいだったなぁと、恋しくなったりする。(日本はいい国だ、とは夫と気軽に話せるけど、イギリスがいいとはあんまり発言しないようにしている)

フランスに来たことは別に後悔していないのだけど、日本の生活の便利さや、英語が通じるお気楽さを知ってしまっていると、ふと、とてつもない不安に教われるときがある。

でも、待てよ。
私って、要は子供のときからずーっと『隣の芝生』をよく見てしまう性格なんだなぁ、と気づく。

私がこの国に来た意味はもしかしたら、このあなたの性格にちゃんと気がついてね、っていう天からのメッセージなのかも。あなたはいつもどこに行っても、人のことばかり気にしてたでしょ、って。『隣の芝生』なんて気にしないで、今の自分の立っている場所をおもいっきり、精一杯楽しむことを学んでねって。

どんな『夢』や『憧れ』も、一度現実に目覚めてから、また新たに始まるような気がする。

2010年5月5日水曜日

イケメン俳優とメトロでお散歩

あるときテレビを付けたら、いろんな本を紹介する番組をやっていた。
ふと夫がその出演者の話を聞いていて、「多分この人、ジャン・ギャバンとか、ジェラール・デパルデューとか将来のフランス映画を代表する俳優になると思う」とぽつりと言った。

それが、ロラン・ドイチェ(Lorant Deutsch)。ジョニー・デップみたいに黒ふち眼鏡が似合う好青年。俳優さんだけど、今はほとんど舞台が中心のお仕事らしい。夫は彼の演技を見たことは一度もないのだが、「彼の言っていることは賢い」らしい。

ロラン・ドイチェは大学で哲学や歴史を学び、かなりの『歴史オタク』。そんな彼が最近本を出版して、これがフランスでベストセラー入りした。『メトロノーム』というタイトルで、地下鉄メトロ駅の歴史をまとめたもので、地下鉄の各駅からパリの歴史を紐解くという、ちょっと好奇心が踊る内容。

フランス語まだあんまりよくわからないしなぁ〜と思っていたのだけど、駅の売店でちらりと中を見たら、なんとか私にも辞書があれば十分読めそうな文体。しかも、駅ごとにまとめられた各エピソードが短い。夫も読みたがっていたので、早速購入した。

イントロダクションを読んで、ちょっと胸が高まる。

以下抄訳。
15歳のとき、初めてパリでの生活が始まった。(中略)全くのよそ者であり、知り合いもほとんどいないこの町で、僕の初めての友達となったのは、通りの名前だった。

私も初めてヨーロッパの都市を旅行したとき、道や通りの名前に助けられたことがある。寒い冬に旅行をしたときなど、もしかして迷ったのかもしれないと不安になりながらも、ふとその道の名前が「アポリネール通り」や「ボルテール通り」だったりすると、あ、この辺りにあの詩人や哲学者も住んでいたのかな、と想像する。そう思えるだけで、知らない土地でさまよい歩くことに、ささやかな安堵を感じたものだった。

自分の小さな喜びと同じことを感じる人がいるなんて!恋が芽生えますな〜。
ロラン・ドイチェとメトロに乗ってパリをお散歩するのを妄想しながら、辞書を片手にがんばるぞ。

2010年5月3日月曜日

ショパンって、ダメ男?

言葉がまだよくわからないので、テレビを見るときにはなるべく映像で楽しめるものを選ぶ私。

最近、「お、これ録画してちゃんと見よう!」と思った番組は作家ジョルジュ・サンドの半生を描いたドラマ。「ジョルジュとファンシェット(George et Fanchette)」というタイトルで、ショパンと暮らすジョルジュ・サンドが、ファンシェットという若い女性を召使いに雇うところからストーリーが始まる。

フランスの田園風景が広がるお屋敷でロケ撮影していて、かなり優雅な感じ。木いちご狩り、美しい花々、乗馬、豪華なディナー、色とりどりの衣装、おいしそうなコーヒーとブリオシュの朝食など、女の子ならだれでも憧れる世界が映像化されていて、かなり目の保養になる。もちろんBGMはショパンのピアノ曲だしね!

言葉がわからないと、画面のいろんな細部につい目がいってしまい、それがまた面白い。
庭仕事をするジョルジュがふと振り返って画面に背を向けると、彼女のエプロンを止める紐が縦結びだったり、召使いの人たちが調理する食材が雌鳥だったり、うさぎだったり。

でも、かなりがっかりしたのは、ショパンの人物設定。かなり実際の肖像画に描かれているショパンと似ている感じの風貌に仕上がっていて、いかにも病人らしかった。でも、ピアノを弾く指はちょっと小太り気味。以前パリにある博物館でショパンの手の石膏を見た事があったけど、とっても長い指をした繊細な手だったのにな。さらに致命的にショックだったのは、まるで「僕は音楽以外の才能はまるでないんです」、と言わんばかりのショパンのダメ男っぷり。ドラマの後半で、ジョルジュがショパンを追い出すシーンがあったけど、もしドラマに描かれているようなことを実際にやる男性がいたら、ジョルジュ・サンドでなくても嵐のように怒り狂うでしょう。

サンドとショパンの関係について、いろいろとロマンチックな夢を描いていた私としては、「あちゃー、見なきゃ良かった」というのが感想。

来週第二部も放映されるようなので、とりあえず楽しみにしています。

2010年5月2日日曜日

カマンベールは愛の食べ物 (追記)

そういえば、夫が日本にいたとき、「カマンベールを冒涜している!フランスの特産物をバカにするな!」と激怒していたCMがある。

それは、とある宅配ピザのコマーシャル。少女たちが、元気に踊り、歌う。

♪カマンカマン カマンカカマン カマンベール!

フランスの国旗を身にまとったカマンベール娘がかわいいなぁって、私は思うのだけど。

2010年5月1日土曜日

カマンベールは愛の食べ物

テレビを見ていて気がついたのだけど、この国では「食欲」と「性欲」の間にあまり大差はないらしい。

この国で「チーズ」のコマーシャルを見る度に、不思議な違和感に襲われる。

その例をあげると…。

CMその1。
浜辺で美しい女性が寝そべっている。そこにカマンベールチーズをもった色男風の男が近づいてきて、
「いっしょに一口、どう?」みたいなジェスチャー。二人はうぅ〜ん、とおいしそうにカマンベールを食べる。

CMその2。
若い女性が一人でソファーに座ってカマンベールをおいしそうに食べている。そこにボーイフレンドが帰宅。
「あ、見つかっちゃった」という表情をしている女性に、男性がニヤニヤしながら近づいてきて、
「一人で楽しむなんてずるい」とでも言いたそうな顔をする。
そして二人でいちゃいちゃしながらカマンベールをほおばる。

CMその3。
若い女性が細い布で目隠しされている。すると男性が「ほれほれ、ここだよ」みたいな感じで、女性の口にカマンベールを入れようとする。
女性は「いやーん、何かしら〜」といったラブラブな雰囲気。

どうしてこういうコマーシャルになってしまうのかよくわからないのだけど、この国のフロマージュを食すると「うぅ〜ん、おいしい〜」と思ってしまうのはわかる。フランスのチーズの味(とくにカマンベール系)は、日々微妙に変わり、まるで生きている食べ物。コーヒーを味わうように「コク」みたいなのがあって、日本のチーズでは感じられない質がある。でも、このチーズの「コク」っていうのはいわゆる「脂肪」ってことらしい。

主人と日本に住んでいるとき、主人はどんなに安くても日本産のカマンベールに手をださなかった。
「チーズを食べた気がしない」と頑として口をつけなかった。

「まあね、たとえ本場の味とはいかなくても、カマンベールをちゃんと自分たちの手で作って、世の中に売りに出してる、この日本人の努力はすごいよね〜?」と夫をなだめていた私だけど、日本が酪農をアメリカ人からじゃなくて、フランス人から学んでいればよかったかもなぁ〜なんて想像してしまう。

そうしたら、今頃日本もカマンベールやバターが超おいしい国になっていかも。