2010年6月30日水曜日

わが家の習慣

この国では、人が言うことを安易に信じては暮らしていけません。

つまり人が信じられないのです。

そんなとき、頼りになるのは何か。

ずばり!

自分の直感。これです。

直感を鍛えるために、私も夫も日々、瞑想をしております。

冗談じゃないですよ。

2010年6月24日木曜日

サッカー嫌いじゃなかったっけ?

W杯サッカーが始まる前、わが家では夫からサッカー観戦禁止令が出された。夫は大のサッカー嫌い。フランス代表が勝つと毎回街は大騒ぎになるそうで、それが夫のサッカー嫌いの一因らしい。大多数の人が面白いと思う事は普通に面白いはずと日本式に教育されている私は、もちろん禁止令撤廃を要求した。「別に4年に一回のせっかくのお祭りなんだから、見よう」となだめたのだけど、Nonの一言。でも話し合いの結果、どうやら私が個人的に一人で見ることは禁止しないというところに落ち着いたので、まあいいっかと思っていた。

ところが、ふたを開けてみたら、なんと!夫は「サッカーおもしろくなってきたね〜」とウハウハしているではないか!その原因はフランスの惨憺たる戦いぶりとそれに付随した珍騒動のおかげ。メディアは毎日神妙な面持ちで、「今フランス代表に何が起きているのか」を情報戦とばかりに伝え、夫はそれを「今日はどんな展開になるかなぁ〜♪」ともみ手をしながらうれしそうにスポーツニュースを見るようになり、私にも逐一それを報告してくれる。以下、夫がサッカー解説者等から聞きかじった情報。

●ドメネク監督には個性の強い選手を管理する能力はない。もともと大きなクラブチームを監督した経験が無い人で、2006年W杯準優勝もジダンの実力と人徳のもとにチームが結束したため実現できたもの。

●ドメネク監督は2006年後、全く成績を残していないにも関わらず、なぜフランスのサッカー協会が監督交代を実現できなかったのかは謎。協会内の政治力が関係しているらしい。

●代表チーム内の二大勢力は、どうやらリベリーとグルキュフだったらしい。決して異人種間に起きた軋轢ではない。

●練習のボイコットが決まったとき、若手の選手には泣いて練習したいと懇願した人もいた。でもそれは阻止された。

●新監督ローラン・ブランは、フランスが98年W杯優勝をしたときの代表メンバー。その後国内1部リーグのボルドーのチームを率いて昨季はリーグ優勝を果たすなど、ドメネク監督よりもずっとしっかりした実績もある。性格もドメネクのように傲慢ではなく、理性的な采配ができる人物らしい。

夫は、今年8月に行われる新監督指揮のもとでのフランス代表の初試合がどうなるのか、今から楽しみだそうだ。

2010年6月20日日曜日

罪の重さ

W杯サッカー仏代表のFW選手ニコラ・アネルカが、代表監督レイモン・ドメネクに暴言を吐いたことで、アネルカは最終戦を待たずに代表を外れることになった。

別にアネルカでなくてもフランス国民の大多数がドメネク監督に暴言を投げつけたかったはずだろうから、別にそこまで騒がなくてもいいんじゃないかなぁーと思う私。

一方で、ワールドカップ前に未成年の少女の売春に関わったとされるフランク・リベリーは、そのスキャンダル中にはマスコミで騒がれ、欧州チャンピンオンズリーグでは出場停止となったけれど、その後彼は代表を外れることもなく、某銀行のテレビコマーシャルにも元気な姿で笑顔を振りまいている。

アネルカの暴言よりもリベリーの売春のほうがもっと厳しい社会的制裁を受けるべきなのではと思うのだが、この国ではどうも違うらしい。

サッカーより日本の相撲が大好きな夫に、「琴光喜が野球賭博を認めて、大変な事になってるみたいだよ」と教えてあげた。

夫「なんで?何が悪いの?」
私「…野球でギャンブルしちゃいけないんだよ。法律で禁止されているから」
夫「ふーん…。日本って変だね」

そう言い残して、もうすぐ一歳になる息子を抱き上げた夫は、我が子にこう話しかけた。
「いいかい、何か悪い事がしたくなったら、日本じゃなくてフランスでやるんだよ。そのほうが罪が軽くて済むからね〜(ほっぺにチュ)」

息子よ、どうか悪い誘惑に負けない強い子に育っておくれ。っていうか、絶対悪い事なんてさせません!!ママンが許しません!!!

2010年6月19日土曜日

凱旋門、シャルル・ド・ゴール、カルラ・ブルーニ


昨日、パリの日本大使館に寄ったついでに、凱旋門前を通った。「我々は勝利者だ!」との雄叫びが聞こえてきそうなその建造物から湧き出るパワーを感じながら、同じ兵士として国のために戦ったのに、東京にひっそりとたたずみ、そして常に複雑な議論が絶えない靖国神社のことを思い浮かべた。


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先日、夫が図書館から谷口ジローの『坊ちゃんの時代』を借りてきた。
J'ai envie d'ecrire un nouveau roman.  Je ne comprend pas de tout ou va le Japon.
(新しい小説を書きたいんだ。日本がどこへ行こうとしているのかまったくわからん。)
という夏目漱石の台詞から始まる。谷口ジローは、フランスではかなりの人気漫画家。彼の作品のほとんどはフランス語訳が出版されている。


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1940年6月18日は、フランス人にとって忘れてはならない歴史的な日らしい。この日、シャルル・ド・ゴール将軍はロンドンのBBCラジオを通して、「フランス抵抗運動の火は決して消されてはならず、またこれからも消されることはない(La flamme de la resistance francaise ne doit pas s'eteindre et ne s'eteindra pas. ) 」とフランス国民にナチスドイツに対する抵抗運動参加を呼びかけた。この日からパリがナチスから解放されるまで、ド・ゴールはロンドンを本拠地としてフランスの抵抗運動を指揮した


今日はその式典のために、サルコジ大統領はカルラ・ブルーニ夫人を伴ってイギリスを訪問。民放放送のTF1, 国営放送のFrance2は共にその式典をロンドンからのライブ中継で放送した。今年はこの出来事の70周年を迎えるとあって、マスコミも力を入れているようだ。この史実について、私は今回フランスに来て初めて知ったのだが、あの狂気的な第二次大戦中に、日本にはド・ゴール将軍やウィンストン・チャーチル英首相のように国民を強く鼓舞し正しい方向へ導いていく政治家が誰一人としていなかったことが、とても悔しい。江戸から明治という劇的な変化を迎えたとき、日本には優秀な官僚、政治家たちの頭脳が多いに発揮された時代があったのにも関わらず、あの太平洋戦争での日本の舵取りの誤り方はいったいなんだったのだろうと、考えてしまった。


厳かな式典の中で私の目を引いたのは、やっぱりカルラ・ブルーニ。ディオールの灰色仕立ての地味なワンピースを軽やかに着こなし、さすがは元トップモデルの存在感。英キャメロン首相の妻サマンサ夫人もかなりチャーミングな女性で、妊娠中の彼女は白と黒のマタニティフォーマルで式典に参加していたけれど、正直に言ってカルラとツーショットにならなければならないサマンサ夫人に同情した。あぁ、決してトップモデルの横に並ぶべからず。サマンサ夫人が後でカルラとのツーショットの写真を見て、気落ちしないことを祈るばかりだ。


普通、ある国の元首が歩いてくるところを見るとき、「あ、オバマが来た、オバマが来た、あ、その後ろにミシェル夫人も…!」と言うように先にその国のリーダーを確認した後、その夫人がどんな人かを目に焼き付けようとするのだが、サルコジ大統領とカルラ・ブルーニの場合は、「あ、カルラが来た、カルラが来た、あ、その前にサルコジがいた…!」と思ってしまう。そういう人は私だけではないはず。カルラ・ブルーニのオーラは、それぐらいすごい。

2010年6月9日水曜日

共和国の大統領たち

また日本の首相が変わった。別に変わってもどうってことないというのがお決まりだけど、やっぱり海外に住んでいると、日本の首相の顔が変わる度に世界では日本の存在感が薄くなっていく感じがする。こっちに来て約半年が過ぎ、ニュースを見る限り、あらためて世界は中国を中心に回っているというか、振り回されているという実感がする。

それにしても日本人って、やっぱりナイーブというか繊細な民族なのかなと思う。権力にしがみつくことを潔しとしない、ぼこぼこに批判されてまで国のトップにしがみつくよりは、自分で去り際を決めたいという気持ちはわからないでもない。

でも、フランスの政界を顔ぶれを見ていると、ちょっとやそっとじゃ自分から降りる人なんていなさそうだなと思う。

サルコジ大統領がカルラ・ブルーニと電撃再婚したとき、その二人の結婚歴を見て唖然とした私。ちょうどそのころ、夫の祖父母と食事をする機会があったのだが、食卓ではその話でもりあがっていた。私がサルコジ大統領の再婚に驚いていることを知ったおばあちゃん(86歳、第二次大戦中はレジスタンスのメンバーだった)は、「あのね、昔ジスカール・デスタンが大統領だったとき、彼は任期中に飲酒運転で捕まったのよ。しかもその助手席には愛人が乗ってたのよ〜」とあっけらかんと言い放った。おばあちゃんは、それに比べたらサルコジなんてかわいいもんよ、とどこか誇らしげで、私はサルコジごときで目を丸くしていたらこの国ではやっていけないのかなぁと不安になった。

しかもこのジスカールデスタンという元大統領、昨年83歳という年齢で初の恋愛小説を出版した。『La Princess et le President』というタイトルで、イギリス皇太子妃とフランス大統領の恋愛物語。精力たくましいお年寄りの妄想もここまでくると、「よっぽどダイアナ妃にちょっかい出したかったんだね、おじいちゃんならきっとおとせたさ、だってフランス人だもんね〜」と、慰めの言葉をかけてあげたくなる。

ミッテラン元大統領の愛人問題が発覚したときに、記者からの質問に対して大統領は「et alors?(それがどうかした?)」と聞き返した話は有名だけど、この国の政治家たち(もしかしたら国民全体?)は、ちょっと自分が過ちを犯したからといって、すぐ謝罪などしそうになく、ましてや自分から権力の座を明け渡そうなんて気は毛頭ない。面の皮がとっても分厚そうな方たちばかりだ。

菅直人新総理も就任早々に田中眞紀子氏から「クリーンというが洗濯屋じゃない」とのお言葉を食らったようだけど、さすが田中角栄の娘、うまいこと言うな〜感心してしまった。日本の政治家ももうちょっとずる賢くてもいいと思う。でないと日本の存在感はますます薄くなってしまうから。

2010年6月4日金曜日

奇跡のメダイ教会


5月下旬、ちょっと肌寒い日が続いた。冬の間はセントラルヒーティングがよく効いて家の中では半袖一枚で過ごせるのだが、こういう季節外れの寒い日にはセントラルヒーティングは作動しない。背中からゾクゾクっとくる寒気を感じて、ああ、やっぱりあのときの『寒気』と感じ方が違うなと思った。

その『寒気』というか、久々にゾクゾクっとくる『鳥肌』を感じた場所は、パリの『奇跡のメダイ教会』と呼ばれるに小さな教会。こっちに来てから偶然にも二人の別の知り合いから「とってもいいから場所だから是非一度行ってみてね」と言われていた場所だ。

私はクリスチャンではないのだが、正直な話、今回フランスに住み始めてから、キリスト教(特にカトリック系)って苦手かも、と思うようになっていた。前世で何か悪さをして、キリスト教の神父さんとかシスターたちに叱られたのかもしれないと思うほど、教会の前を通る度になぜか「すいません」と『謝罪』モードになってしまう。

でも、なぜかこの教会の話を聞いたとき、いやな気はしなかった。むしろ不思議な興味が沸き、是非行ってみたいと思っていた。ただ、やっぱり「聖母マリア様が降臨されたという奇跡の場所」と言われると、そんな奇跡なんて…と、半信半疑になってしまう。でもとにかく5月の最後の日曜日に偶然一人でパリに行く用事ができたので、そのついでに足を運んでおくことにした。

着いたとき、「あ、はずれだ」と思った。日曜日はミサをやっていて教会は人であふれている。小さな教会の落ち着いた雰囲気を想像していた私としては、ちょっとがっかりだった。とりあえず、すこし様子を見ようと教会の後ろのほうで待っていたら、どうやらもうすぐ終わる様子だったので、待つことにした。待っている間、信者でもない私がこんなところにいて申し訳ないと肩身の狭い思いをしながら、ミサに飽きてしまった女の子を懸命にあやしているアフリカ系のパパの姿を微笑ましく眺めていた。

どうやら終わったようだ。まだ人だかりは消えないけれど、とりあえず祭壇のほうには近づけるぐらいに空間が広がって来た。教会は淡いブルーを基調とした内装。それが教会独特の琥珀色のライトと溶け合って、とてもいい感じがした。祭壇前には祈りを捧げる信者たちがまだたくさんいるけれど、せっかく来たんだからもうちょっとそばでマリア様を見ていこうと思って祭壇に近づいた。

教会を中程まで進んだときだった。
サワサワサワーっと胸の辺りから鳥肌が立ってきた…。
それは頭を通って、空へ抜けていくような感じ…。

別に教会のマリア像や、壁に描かれた天使のモザイクなどの美術品を取り立てて美しいと思っているわけではなかった。でも、私の体は何かに反応して『感動』していた。それは明らかに恐怖からくるものではなく、不思議な暖かさを含んだ感覚…。

10分ぐらいそうした感覚に包まれていたと思う。ぼーっとしながら教会を後にしようとしたとき、何か胸には熱いものが込上げていることに気づく。泣きはしなかったけど、泣きそうだった。

これまで過去に、ある場所に行って今回と同じような鳥肌を感じた事は何度かあるけれど、この教会で感じたほど、強いメッセージを運んでくれた場所はなかった。

泣きそうになった私が感じていたこととは、「あなたも母親よ。」というシンプルなメッセージ。母親になった私は「こんな母親でいいのかな、もっとちゃんとしなきゃいけないんじゃないのかな」と常にどこか不安だった。でもこんなダメな私でも、母は母。別に「良い母」になろうと努力をしてもしなくても、私はすでに母親で、それだけで十分だよ、と誰かがささやいてくれた。

帰り道、最寄りのセーブル・バビロン駅前に、創業100年を迎えたホテル・ルテシアがあることに気がついた。たしか、私の好きな作家が、このホテルについて書いていたなぁと偶然の遭遇にうれしくなる。ホテルの反対側には小さな公園があり、木々の緑が美しかった。パリは、まだまだ奥深いなぁと思った。