2012年3月10日土曜日

私の感動を返してくれ。

藤原正彦さんの作品を久しぶりに読んだついでに、藤原先生がNHK教育番組『人間大学』で紹介していた19世紀フランスの数学者エヴァリスト・ガロワについてインターネットで検索していたら、なんとYoutubeにその映像がアップされていることがわかった!

当時、『人間大学』講座のテキストで20歳で夭折した天才数学者ガロワの人生について読んだとき、私は感動の涙に震えた。数学的な天才ぶりをすでに15歳のときに示していたにも関わらず、ガロワの人生は辛酸を舐め尽くした。2度の受験失敗、父の自殺。しかも、彼の論文は2度に渡って紛失される。私も稚拙ながらも論文と言われるものを書いた経験があるので、自分の学者生命をかけた論文が2回も紛失されてしまうなんて、考えただけでも身の毛がよだった。市民革命の火が燃え盛る社会状況が不安定なパリを駆け抜けた若き天才は、恋敵との決闘により20歳で命を落とした。そしてガロワの功績は死後14年後に発見され、その後200年経った今でも数学と物理学に重要な役割を果たしている…。炎が一瞬で燃え盛って消えてしまうような、こんな人生があっていいのだろうか、と私は言葉を失い、若い数学者の不遇な人生に思いを馳せ、まさに涙枯れるまで泣きはらしたのであった。

私はなぜかこのときのテキストは購入して読んだのだけど、番組自体は見たことがなかったので、またあの時の感動を味わえるかと思い、さっそくその映像を見てみた。






淡々と続く講義をふんふんと聞き入った。実は彼の人生を知って感動したことは強烈な体験として覚えているのだけど、細かい内容については覚えていないところが多かった。そうだったな、ガロワは受験に失敗したんだった、そう、それで論文も紛失されて…と復習のように心の中で唱えていたとき、私の感動の琴線から「あるある〜」とささやく声が。初めて読んだ時には、え、天才的に数学の才能があるのに受験に失敗?しかも、渾身で書いた論文は2度も紛失された〜!?と不運な人生の展開に私の感情は大きくゆれ動き、涙の大洪水の序章となったところだったのに。

あるのだ。フランスに住んだことがあればわかるのだが、フランスでは重要書類の一つや二つが、提出先の役所やその他公共機関、教育機関、医療機関などで紛失されることがよくあるのだ。私の夫はフランスの大学で非常勤講師をしたことがあるのだけれど、提出書類が足りないとかの理由で、その給料を受け取るのに約1年かかった。また私は医療費の還付をもらおうと国民健康保険(Securite Sociale)の窓口に指定された書類を送ったところ、同封したはずの処方箋がないのでまた送付せよとのお達しが来て、きちんとお金を返してもらうまで半年かかった。この他にも書留で送ったはずの郵便物が紛失したりと、たった2年間のフランス滞在で、書類関係のトラブルは数件ほど経験した。また、私たちの友人や知り合いでも、語学学校の登録に必要な書類を出したけどその後学校の事務担当から受け取ってないと言われたとか、滞在許可証申請の際に一度提出したにも関わらず、またこの書類をもってこいと言われたとか、書類紛失事件はフランスで後を絶たない。なので、決してあってはならないことだけれど、論文が大学側によって紛失されることも十分起こりうる。書類紛失は、フランスのお家芸、国民的スポーツなのだから。

半ばガロワに憧れてフランスに行ってはみたけれど、フランスに住んだおかげで結局当初の感動は10分の1以下にすり減って私の胸にかえってきた感じだった。Youtubeの映像を見終えた私は、ぽかーんと開いた心の隙間に冷たい風が吹き抜けるのを感じた。

藤原先生は『遥かなるケンブリッジ』というエッセイでイギリスの国民性について触れる際、「たいていどの国でもその国民性というものは200年は変わらないものだ」というようなことを書いておられたけれど、正にそのとおりだな、と物悲しく納得してしまった。

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