2012年3月2日金曜日

藤原正彦作品との出会い

『国家の品格』でベストセラー作家となった藤原正彦さんの文章と最初に出会ったのは、NHK教育で『人間大学』という教養番組があり、藤原さんが歴史上の数学者の人生について講義をしていたことがきっかけだった。薄っぺらな『人間大学』のテキストを買い、ちょっと読み始めたらついハマってしまい、第2章の20歳で夭折したフランスの天才数学者ガロワの人生について読んだ時、思わず目から涙がこぼれ落ちテキストのページは涙でぐしょぐしょに濡れた。私は昔からフランス関係のお話が好きで『ジャン・バルジャン』や『ジャンヌ・ダルク』などを読んだの影響から子供の頃からフランスに住んでみたいと夢描いていたのだけど、大人になってから「よし、やっぱりフランスに行こう!」と夢を決定的に膨らませてくれたのは、この藤原先生のテキストだったと思う。それぐらい心に響く名文だった。

時は経ち、子供の頃の夢が叶いフランスで子育てをすることになり、ガロワが生まれた街ブーラレーン市からそう遠くない街に住んだことから、藤原先生が書いた文章をよく思い出すことがあった。そしてその後ケンブリッジに移住することになり、まっさきに彼がケンブリッジ留学時代に書いたエッセイ『遥かなるケンブリッジ』を読みたいと思った。日本から送ってもらおうか、と思っているうちに、ふとケンブリッジ市営の図書館に行ったら日本語の本が何冊か置いてあり、その中に藤原先生の『若き数学者のアメリカ』があった。ちょっと的外れだけどと思いながら、借りることにした。そして数日後、今度はケンブリッジの日本人会が開催した餅つき大会で、日本語の本の古本市もあり、そこで無事『遥かなるケンブリッジ』も手にいれることができた。海外で自分の読みたい本をすんなりと手にいれることができるのは、かなりラッキーなことなのでうれしかった。どうやらケンブリッジに来る日本人はみんな彼の作品に興味があるようで、古本市には藤原先生の他の作品もあったのだけど、今思えばそれを全て買わなかったことを後悔している。

アメリカについて書かれた本とイギリスについての本を平衡読みすることになった訳だが(なぜなら、最初に読みたかったのは『ケンブリッジ』の方だったけど、『若き数学者のアメリカ』もちょっと読み出したら止められなくなったから)、私は『若き数学者のアメリカ』の方に打ちのめされてしまった。作者がアメリカでの生活で軌道に乗って来たころについて書かれている8章、9章では大爆笑してしまう場面もあったのだが、最終章「アメリカ、そして私」を読んだ時、私は自分の涙をどうしてもこらえきれなかった。

私は90年代前半にイギリスの大学に留学した。でも、私の留学は失敗だった。学位は取れたけれど就職にはまったく役立たず、帰国後3年ぐらいは転職を繰り返した。もともと日本を離れたくて親をうまいこと口車に乗せて留学費用をださせた私はホームシックにかかることは全くなかったけれど、いざ留学してみると周りの留学生は奨学金を得ている優秀な人たちや、自分で留学費用をちゃんと稼いできた熱意と独立心に満ちた人たちが多く、自分がみじめだった。そのみじめさを隠すために、日本語訛り丸出しのつたない英語しか話せない学生をあからさまに軽蔑し、そこから得られる優越感と、ネイティブの英語を流暢に話すクラスメートやフラットメイトに囲まれては自信をなくし、そこから襲ってくる劣等感の間で精神的な均衡を保っていた。

この『若き数学者のアメリカ』を読んだ時、そんな若かりし頃の苦い思い出が全て熱い涙になって流れ落ちる感じがした。当たり前だけれど、エリートとして留学した藤原先生のような学生でも、英語が思うように上達せず日本人とばかりつきあってしまう学生でも、それぞれが、それぞれのやり方で、異文化という岩や石がごろごろとした慣れない土地で、なんとか自分の居場所を見つけようと必死だったのだ。

「楽しい留学生活」とか「夢のような海外生活」、もしくは「楽しい育児」といったような表現は、藤原先生がこのエッセイで書いている言葉を借りればまさに「蜃気楼」のようなものなのだと思う。そこに着いてみれば実際は砂漠で、自分で切り開いていかなくてはならないことがどうしてもある。それでも、そこに立ち止まっていたら死んでしまうから、また走り続けなければならない。

私の留学が終わろうとしていた夏は、アトランタ・オリンピックがあった。帰国間際になって日本に電話を入れたら、母がマラソンの有森裕子選手が銅メダルを取ったことを教えてくれた。「有森さんね、スゴいわね〜。私感動しちゃった。『自分で自分のことを誉めたい』って言ってたよ。あなたもね、自分のこと誉めてね。留学、よくがんばったね。」私のような親不孝娘のワガママを、いつもちゃんと受け入れてくれた人は結局母だけだったなと、今頃になって思い出した。

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