2011年3月27日日曜日

インドネシアの少女

■白布に手形で日の丸…ジャカルタで日本激励
(読売新聞 - 03月27日 20:09)

2004年にインドネシアのスマトラ島で大津波があった時、私は女友達と現地で知り会った日本人の男性と3人でジャワ島をのんびり観光していた。スマトラ島の大惨事とは裏腹に、ジャワ島の観光名所ボロブドゥール寺院周辺は静かな自然と田園風景が広がっていた。

そこで、修学旅行のグループのような11歳〜13歳ぐらいの少年少女団体さんに出会った。彼らは日本人が珍しかったようで、私たち3人はまるでス ターのような待遇をうけた。握手して下さい。いっしょに写真を取って下さい。みんなちゃんと英語で話しかけてくる。その中にとても英語が上手なイスラム教 の白いベールを頭に付けた女の子がいて、大きな瞳を輝かせながら、「日本は最先端の技術を持っているから、大きな地震がきても建物が壊れないって本当ですか?」と質問してきた。よくこんなことを知っているなぁ、と感心しつつ、インドネシアが日本と同じ地震の国であることを初めて意識した。

今回の地震で世界中の人が日本を応援してくれていると知った時、この女の子を思い出した。好奇心旺盛な子で、この他にも「日本人の女性は30歳 になっても結婚しないって本当ですか?」とか「あの一緒にいる男性は、あなたの旦那さんじゃないんですか?」ときわどい質問を立て続けに直球で投げきて、 私は回答するのにかなり戸惑ったけど、そのおかげで良い思い出となった。

ホテルに帰ってから、スマトラ島で大地震があったことを知った。国際電話で両親に電話をしたら、「もうお前の死体を探しに行く覚悟を決めていたから、本当に無事でよかった」と珍しく父の感情のこもった声が聞こえてきた。

その後2006年にジャワ島中部でも大きな地震があり、3500人程の死者を出したと聞いた。あの女の子は元気だろうか?もしジャワ島の地震の被害から逃れて生きていたとしたら、今も彼女は日本人にエールを送ってくれているだろうか?

私は日本の最先端技術を支える技術者でもなく、人から賞賛を浴びるに値しないごく普通の人間なのだけど、彼女の純粋な日本への好奇心を目の当たりにしてから、 自分がその彼女の期待を裏切らない日本人として生きているかどうかを、少しだけ気にするようになったような気がする。

焼け野原、瓦礫の山

津波が残した瓦礫の山の映像をテレビで見て、最初に思い浮かんだのは昔見たことがある野田秀樹の戯曲『走れメルス』のラストシーンだった。
http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Hashire-Merusu.html

はっきり言って舞台の内容はほとんど覚えていなかったのだけど、なぜかこの舞台のクライマックスで名優古田新太が「瓦礫の中から掘り起こせ!裸一 貫から立て直すんだ!」と言ったような内容を叫んでいる光景が強烈な印象として残っていて、それが津波の爪痕を見た時に私の耳によみがえってきた。

『走れメルス』を書いた野田秀樹さんは今何を思っているのだろうとネットで探してみたら、今も精力的にがんばっているようでうれしくなった。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103210146.html

しかも、今公演中の『南へ』という作品も、今の日本の姿をズバリと風刺しているような感じがして、おもしろそう。
http://www.nodamap.com/productions/toSouth/

野田さんが『走れメルス』を書いた頃は、きっとあの舞台に再現された瓦礫の山は第二次大戦で日本が敗戦を迎え、日本中どこもかしこも焼け野原と なった風景が元になっていたはず。そう、これまでは、日本人にとって戦後の焼け野原の風景が、今の日本を作り上げてきた原点だった。

でも、これからは東北地方の瓦礫の山が日本人の心的風景の原型になるだろう。焼け野原も瓦礫の山も、いつもそこが日本人の原点。そこから新しい世界が始まる。