たまたまテレビを付けたらarte(教養番組専門チャンネル)で、沖縄を紹介していた。
私と主人は沖縄が大好き。主人と二人で口をぽーっと開けて「あー、沖縄いいなぁー」とため息をつきながら沖縄の淡いブルーの海を見ていた。(その一方で一歳になった息子はうれしそうに沖縄の音楽に合わせて手をヒラヒラ動かしている)
フランスに住みはじめて半年が過ぎた。最近はこの国の不便なところ、嫌なところばかり目についてイライラすることのほうが多い。そのイライラの原因は挙げたらきりがないぐらいだ。情けないのだけど、「ここがフランスではなくて、沖縄だったらなぁ…」と嘆きたい気持ちでいっぱいだった。
番組では、沖縄でテレビタレントとしても活躍するスイス人の男性(どうやら沖縄ではフランス人として通っているらしい人物。でもスイス訛りがない標準フランス語を話す人)が登場した。「沖縄の生活はどうですか?」と聞かれた彼は、「最初は慣れるのに時間がかかるけど、慣れてしまえば問題ないですよ」と笑顔で答えていた。
その何気ない一言にちょっと胸が軽くなった。思えば私はまだフランスに来て一年も経っていない。この国の環境に慣れなくてイライラして当たり前なのだ。フランスだろうが沖縄だろうが、新しい場所に慣れるにはそれなりの時間がかかるわけで、別に今焦る必要なないのだ。
やっぱり私にとって沖縄は重要な癒しの国。沖縄から『パワー』をもらった、と思ったところで画面は市場に並ぶ海ぶどうのアップ。
あぁっ!!!海ぶどうが食べたい!!
あのプチプチした食感を口いっぱいに味わいたいぃぃ〜!!!
2010年7月23日金曜日
2010年7月22日木曜日
おフランスのお下品なお笑い
カド・メラド(Kad Merad)というコメディアンがいる。
昨年フランスで大ヒットした映画『Le petit nicola』で、カド・メラドはニコラ少年のお父さん役を好演し、私はなかなかいい俳優さんだなぁと思っていた。
ところがこの人、「なかなかいい俳優さん」どころか、フランス全土で知名度を誇る大人気のお笑い芸人だったのである。テレビでは常におなじみの顔で、映画にも年間平均5−6本の出演をこなしているそうだ。
お笑いを理解するには言葉の壁がないことは必須。でも言葉や文化の壁を超えた単純なお笑い芸は存在する。
念のため言っておくが、私は深夜のテレビ放送枠を見ていてこのネタを知ったわけではない。言葉もわからず、お笑い番組なのか情報番組なのかもすぐには判断できない私が、たまたまテレビを付けたらこの映像が目に飛び込んで来たときの私の衝撃を理解してほしい。
理解してもらいたいのは、カド・メラドは決してフランスでも知る人ぞ知るのマイナーな芸人さんではなく、全国的に人気なのだ。つい最近も国営放送チャンネル2(France2)の夜のゴールデンタイムで、彼は夏休み特番の家族向けのお笑い番組にメイン司会として登場した。いろんな芸人さんが登場するなか、以前カド・メラドとコンビを組んでいた相方オリビエが登場し、彼に敬意を表してこのネタのロック・ドラマー編を披露していた。どうやらフランス人は家族みんなでこの手のおバカな芸を喜んで観ていると言っていいと思う。すくなくとも、わが家ではそうである。
昨年フランスで大ヒットした映画『Le petit nicola』で、カド・メラドはニコラ少年のお父さん役を好演し、私はなかなかいい俳優さんだなぁと思っていた。
ところがこの人、「なかなかいい俳優さん」どころか、フランス全土で知名度を誇る大人気のお笑い芸人だったのである。テレビでは常におなじみの顔で、映画にも年間平均5−6本の出演をこなしているそうだ。
お笑いを理解するには言葉の壁がないことは必須。でも言葉や文化の壁を超えた単純なお笑い芸は存在する。
念のため言っておくが、私は深夜のテレビ放送枠を見ていてこのネタを知ったわけではない。言葉もわからず、お笑い番組なのか情報番組なのかもすぐには判断できない私が、たまたまテレビを付けたらこの映像が目に飛び込んで来たときの私の衝撃を理解してほしい。
理解してもらいたいのは、カド・メラドは決してフランスでも知る人ぞ知るのマイナーな芸人さんではなく、全国的に人気なのだ。つい最近も国営放送チャンネル2(France2)の夜のゴールデンタイムで、彼は夏休み特番の家族向けのお笑い番組にメイン司会として登場した。いろんな芸人さんが登場するなか、以前カド・メラドとコンビを組んでいた相方オリビエが登場し、彼に敬意を表してこのネタのロック・ドラマー編を披露していた。どうやらフランス人は家族みんなでこの手のおバカな芸を喜んで観ていると言っていいと思う。すくなくとも、わが家ではそうである。
2010年7月21日水曜日
ロベルト・アラーニャが好きです。
昨夜の国営放送チャンネル2(France2)は、プッチーニのオペラ『トスカ』全幕を南仏オランジュ音楽祭から生中継で放送していた。ローマ時代の古代劇場跡で行われる公演を生放送で見られるなんて、オペラファンにはかなりうれしい番組。最近の私は、子育てからくる疲れと、異文化の環境に岩のようにしがみついて生活しなければならない疲れからか、なんとなくぼーっとしていたので、こういう趣味の世界に浸れる機会は逃したくなかった。早速録画して、今日離乳食を作りながら見ることにした。
音楽祭の生中継なんて、なかなか日本では見ることがないから、どんな雰囲気なんだろうと興味深く見ていたのだけど、幕間にはレポーターが活気湧く舞台裏や楽屋に立ち、出演者に気軽にインタビューをしていて、まさに『お祭り』気分を味あわせてくれる。でもなんと言ってもメインは、フランス生まれで世界的知名度を誇るテノール歌手ロベルト・アラーニャ。どうやらアラーニャは1998年から毎年オランジュ音楽祭に出演しているらしく、過去のアラーニャのハイライトシーンとインタビューで盛りだくさん、オランジュ音楽祭、別名『ロベルト・アラーニャ祭り』と言っても良さそうな感じだ。
フランスに来てから気がついたのだけど、ロベルト・アラーニャはフランスで絶大な人気を誇る。このオペラ生放送も、アラーニャ見たさで楽しみにしている視聴者のおかげで実現しているようなものだろう。その人気の理由は、フランス人がクラシック音楽好きというよりもむしろ、彼自身の生い立ち − 彼の両親がシチリアからの移民で、パリ郊外でも最も『危険』と呼ばれる地域の出身であること − が大きく貢献していると思う。
私は特に昔からのアラーニャのファンだったという訳ではないのだが、フランスに来てからちょっとフランスのテレビに「洗脳」されて彼のファンになってしまった。なぜなら、私もパリ郊外に住む移民だから。(私が住んでいる街はアラーニャが生まれた街よりはずっと安全なところだけど、それでも移民は多い)今年の1月ぐらいにアラーニャのインタビュー番組をテレビで偶然見かけ、そこで彼はフランスで育ったことを『幸運』だと話していた。もちろん、それは移民国家フランスの裏返しであって、この国が抱える移民関係の社会問題は根深い。ただ、未だにフランス語に四苦八苦している私が、なぜか私は彼のフランス語は理解できて、ふんふんとインタビューに引き込まれてしまった。それが、シチリア訛りのせいなのか、それともオペラ歌手としての発声法のせいなのかわからないのだけど、早口でしゃべっていても、なぜか理解できる。多分、ラテン系の人にありがちな、べらべらと長くしゃべっているようでも実はそんなにたいしたことを言っている訳ではないというものあるのかもしれないが、私は彼がにこやかな笑顔で、家族こと、音楽のことについて話す姿に、「移民としてフランスに生きることは決して悪いことではない」という希望の光を感じた。
その希望の光は、インタビューの合間に、アラーニャが2005年の革命記念日に国家『ラ・マルセイエーズ』を歌ったときの映像を見たときさらに強く輝きだした。これを見たら、フランス人でなくても心が高鳴るはず。
アラーニャは、『マルセイエーズ』のように声量を最大限に使った力強い曲を歌うと右に出るものはいないと思う。ほら、ここが俺様の見せ場だ!と言わんばかりの男らしい強さを歌うときのアラーニャは目を見張るものがある。特に、『怒り』の表現が上手で、ハイライトシーンに混ざっていた『椿姫』第二幕でアルフレード(アラーニャ)がヴィオレッタを侮辱するシーンなど、そこまで激しくいじめなくも!と思わずヴィオレッタに同情してしまうほどの迫力だった。
でも、一方で『カルメン』のドン・ホセや『道化師』のパリアッチョなど、女に捨てられた惨めな男の悲哀を表現するのはいまいちサマになっていない。今回の『トスカ』でも、テノールの一番の見せ場3幕目の『星は語りぬ』は、カラヴァドッシの絶望感がちょっと欠けていて味気ない感じがした。一流のテノールとして定番のアリアを情感たっぷり込めて歌えないところが、ミラノスカラ座事件のようなことになってしまったのかもしれない。
Wikipediaで2006年12月のスカラ座の公演中、観客からブーイングを受けたことで舞台を放棄したことを知った私は、あれ?と思ってしまった。これって、フランスを代表するもう一人の移民のヒーロー、元サッカーフランス代表のジダンみたいじゃない!?怒りがカッと頭に昇ってしまうと、それを制御できなくなるところが特に。ジダンが2006年W杯決勝でイタリアの選手に頭突きをして一発退場になったのは同年7月ぐらいのはずだから、もしかしてアラーニャもちょっとジダンのことが頭にあったのかな〜と、勝手な想像をしてしまう私だが、アラーニャのファンになってしまった私はそういうところが人間臭くていいなぁと思ってしまう。
今回の生放送の中でアラーニャがインタビューされているところを見て思わず目がいったところがある。彼の上腕から胸板にかけてのがっちりした筋肉!♥。お得意のアリアを歌っているときの彼の堂々とした姿からは想像できないのだけど、実際の彼の体格は美的に恵まれているとは言いがたい。ドミンゴやホセ・クーラなどと比べたら、ずっと身長も低そうだし、お腹もちょっとポッコリ気味。でも、上半身をしっかり筋トレしているようで、スーツを着るとちゃんと体は逆三角形を保ち、テノールの舞台衣装にありがちな第二ボタンまでボタンを外したシャツ一枚の立ち姿が、特にオペラのテレビ中継などでカメラがアラーニャをバストショットでとらえるとき、一段と映える。
オペラ歌手は自分の体が楽器だから、すばらしい声を出すために腹筋や背筋などいろんな筋肉を常に鍛えていなくてはならないらしいけど、上腕筋があそこまで盛り上がっているオペラ歌手もめずらしいなぁと思う。そもそも腕の筋肉が美しい声を出すのに必要なのかどうかは、素人の私にはわからないけど、舞台人としてかっこよくありたいと努力する俗っぽいところがまた面白くて好きである。
音楽祭の生中継なんて、なかなか日本では見ることがないから、どんな雰囲気なんだろうと興味深く見ていたのだけど、幕間にはレポーターが活気湧く舞台裏や楽屋に立ち、出演者に気軽にインタビューをしていて、まさに『お祭り』気分を味あわせてくれる。でもなんと言ってもメインは、フランス生まれで世界的知名度を誇るテノール歌手ロベルト・アラーニャ。どうやらアラーニャは1998年から毎年オランジュ音楽祭に出演しているらしく、過去のアラーニャのハイライトシーンとインタビューで盛りだくさん、オランジュ音楽祭、別名『ロベルト・アラーニャ祭り』と言っても良さそうな感じだ。
フランスに来てから気がついたのだけど、ロベルト・アラーニャはフランスで絶大な人気を誇る。このオペラ生放送も、アラーニャ見たさで楽しみにしている視聴者のおかげで実現しているようなものだろう。その人気の理由は、フランス人がクラシック音楽好きというよりもむしろ、彼自身の生い立ち − 彼の両親がシチリアからの移民で、パリ郊外でも最も『危険』と呼ばれる地域の出身であること − が大きく貢献していると思う。
私は特に昔からのアラーニャのファンだったという訳ではないのだが、フランスに来てからちょっとフランスのテレビに「洗脳」されて彼のファンになってしまった。なぜなら、私もパリ郊外に住む移民だから。(私が住んでいる街はアラーニャが生まれた街よりはずっと安全なところだけど、それでも移民は多い)今年の1月ぐらいにアラーニャのインタビュー番組をテレビで偶然見かけ、そこで彼はフランスで育ったことを『幸運』だと話していた。もちろん、それは移民国家フランスの裏返しであって、この国が抱える移民関係の社会問題は根深い。ただ、未だにフランス語に四苦八苦している私が、なぜか私は彼のフランス語は理解できて、ふんふんとインタビューに引き込まれてしまった。それが、シチリア訛りのせいなのか、それともオペラ歌手としての発声法のせいなのかわからないのだけど、早口でしゃべっていても、なぜか理解できる。多分、ラテン系の人にありがちな、べらべらと長くしゃべっているようでも実はそんなにたいしたことを言っている訳ではないというものあるのかもしれないが、私は彼がにこやかな笑顔で、家族こと、音楽のことについて話す姿に、「移民としてフランスに生きることは決して悪いことではない」という希望の光を感じた。
その希望の光は、インタビューの合間に、アラーニャが2005年の革命記念日に国家『ラ・マルセイエーズ』を歌ったときの映像を見たときさらに強く輝きだした。これを見たら、フランス人でなくても心が高鳴るはず。
アラーニャは、『マルセイエーズ』のように声量を最大限に使った力強い曲を歌うと右に出るものはいないと思う。ほら、ここが俺様の見せ場だ!と言わんばかりの男らしい強さを歌うときのアラーニャは目を見張るものがある。特に、『怒り』の表現が上手で、ハイライトシーンに混ざっていた『椿姫』第二幕でアルフレード(アラーニャ)がヴィオレッタを侮辱するシーンなど、そこまで激しくいじめなくも!と思わずヴィオレッタに同情してしまうほどの迫力だった。
でも、一方で『カルメン』のドン・ホセや『道化師』のパリアッチョなど、女に捨てられた惨めな男の悲哀を表現するのはいまいちサマになっていない。今回の『トスカ』でも、テノールの一番の見せ場3幕目の『星は語りぬ』は、カラヴァドッシの絶望感がちょっと欠けていて味気ない感じがした。一流のテノールとして定番のアリアを情感たっぷり込めて歌えないところが、ミラノスカラ座事件のようなことになってしまったのかもしれない。
Wikipediaで2006年12月のスカラ座の公演中、観客からブーイングを受けたことで舞台を放棄したことを知った私は、あれ?と思ってしまった。これって、フランスを代表するもう一人の移民のヒーロー、元サッカーフランス代表のジダンみたいじゃない!?怒りがカッと頭に昇ってしまうと、それを制御できなくなるところが特に。ジダンが2006年W杯決勝でイタリアの選手に頭突きをして一発退場になったのは同年7月ぐらいのはずだから、もしかしてアラーニャもちょっとジダンのことが頭にあったのかな〜と、勝手な想像をしてしまう私だが、アラーニャのファンになってしまった私はそういうところが人間臭くていいなぁと思ってしまう。
今回の生放送の中でアラーニャがインタビューされているところを見て思わず目がいったところがある。彼の上腕から胸板にかけてのがっちりした筋肉!♥。お得意のアリアを歌っているときの彼の堂々とした姿からは想像できないのだけど、実際の彼の体格は美的に恵まれているとは言いがたい。ドミンゴやホセ・クーラなどと比べたら、ずっと身長も低そうだし、お腹もちょっとポッコリ気味。でも、上半身をしっかり筋トレしているようで、スーツを着るとちゃんと体は逆三角形を保ち、テノールの舞台衣装にありがちな第二ボタンまでボタンを外したシャツ一枚の立ち姿が、特にオペラのテレビ中継などでカメラがアラーニャをバストショットでとらえるとき、一段と映える。
オペラ歌手は自分の体が楽器だから、すばらしい声を出すために腹筋や背筋などいろんな筋肉を常に鍛えていなくてはならないらしいけど、上腕筋があそこまで盛り上がっているオペラ歌手もめずらしいなぁと思う。そもそも腕の筋肉が美しい声を出すのに必要なのかどうかは、素人の私にはわからないけど、舞台人としてかっこよくありたいと努力する俗っぽいところがまた面白くて好きである。
2010年7月14日水曜日
茂木健一郎先生が好きです。
「自分自身から脱藩。今までのやり方を変え、自分を守ってくれた文脈から出ることは不安を覚えることだし、それなりの勇気がいることではある。しかし、自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。自分自身から脱藩してこそ初めて、私たちは潜在能力を遺憾なく発揮して成長することができるのである。」
クオリア日記より
「遇有性のさわやかな風」という表現がキラリと光っていると思う。ただ遠く日本を離れて現共和国で暮らす私は、「さわやかな風」というより「遇有性の暴風地域」にいるような感じで〜す!きゃはっ!(涙)
そんなことない、この程度の風はさわやかよ、とさらりと言えるレベルに達するには、私にはまだ修行が必要なようです。
でも、素敵な言葉だな。坂本龍馬の銅像を思い浮かべると、穏やかな風に吹かれている感じがするもの。あの風は「遇有性」の風だったのね。
クオリア日記より
「遇有性のさわやかな風」という表現がキラリと光っていると思う。ただ遠く日本を離れて現共和国で暮らす私は、「さわやかな風」というより「遇有性の暴風地域」にいるような感じで〜す!きゃはっ!(涙)
そんなことない、この程度の風はさわやかよ、とさらりと言えるレベルに達するには、私にはまだ修行が必要なようです。
でも、素敵な言葉だな。坂本龍馬の銅像を思い浮かべると、穏やかな風に吹かれている感じがするもの。あの風は「遇有性」の風だったのね。
2010年7月4日日曜日
誕生日を迎える息子へ
君がこの世にやって来たとき、太陽は西へと進路をとり、
君のもう一つの祖国で、強い朝日となって大地を照らしていた
君には二つの時計が刻まれている
もしかしたら二つの時計が重く君にのしかかるかもしれない
もしかしたら時計は一つでよかったと思うかもしれない
そんなときは オルゴールの曲にのって 静かに眠っておくれ
星が君を見守っている世界で 休んでおくれ
そして また目を覚ましたら 空を見上げてごらん
二つの時計は いつも一つの太陽と共に
同じ時を刻んでいるから
君のもう一つの祖国で、強い朝日となって大地を照らしていた
君には二つの時計が刻まれている
もしかしたら二つの時計が重く君にのしかかるかもしれない
もしかしたら時計は一つでよかったと思うかもしれない
そんなときは オルゴールの曲にのって 静かに眠っておくれ
星が君を見守っている世界で 休んでおくれ
そして また目を覚ましたら 空を見上げてごらん
二つの時計は いつも一つの太陽と共に
同じ時を刻んでいるから
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